Opera

今晩は徹夜仕事。これから明日のお昼まで。よく考えると、16時間勤務になるかもしれない。寿命が縮まります。まったく。

で、その前に、二期会のマクベスを観に行きましたが…

これはめちゃくちゃ強烈でした。

オペラ・システムの破壊ですね。

最後のクライマックスがラジオから聞こえる設定になっていました。スピーカーからオケの音が出ていたと思います。少なくとも私にはそう思えました。

実際にどのようなテクノロジで実現していたかは今のところわかりません。

ですから、クライマックスは生オケではない、ということになります。

さすがに、これはパラダイムシフトですよ。

生オケ前提の劇場で録音を聞かされたかのような感覚ですから。

演出したペーター・コンヴィチュニーもカーテンコールで現れましたが、ブーイングがかなり出ましたね。

みなさんどのような感想をお持ちになったのか、とても気になります。

取り急ぎ。

では、仕事にいってきます。

Opera

ビバ・リベルタ という本を読んでいます。オペラと政治の関わりについて論じた時間を忘れる本です。

ネットでは厳しい評価はあるようですが、そこまでひどいとは思えません。確かにどこかで聞いたことのあるような内容もありますが、むしろ復習・総まとめとしてはよくまとまっていると思います。

モーツァルトやベートーヴェンのオペラがフランス革命近辺に作られたということもあって、そこに階級闘争の要素が多く含まれるということを再認識しました。これも、解説書やパンフレットに書いてあることかもしれません。今、日本で思う以上の当時の空気感が理解できたと思っています。

以下の解釈は、当たり前とはいえ興味深さ満載。ベートーヴェンの「フィデリオ」の項で以下のような記載をみつました。

彼らは(フロレスタンとレオノーレ)、気は優しいが屈従的な看守長ロッコに代表される順応主義的権力加担的状況の中で孤立している。彼(ロッコ)は、気は進まないが、それでも従順な抑圧の執行者である。あらゆる体制が依存している順応的な補助的下役、とくに残忍で不当な連中のタイプである。

87ページ

これ、私ら中間なんとかと同じだなあ。そこまでひどくはないにしても。昔の軍曹ってこんなかんじだったんだろうな、などと。

ただ違うのは、階級の壁が容易でないにしても乗り越えられるかそうでないか、それが18世紀と現代の違い、と、思いたいところ。

「フィガロの結婚」を会社で翻案したら面白いという妄想。。セクハラ部長アルマヴィーヴァが、フィガロと社内恋愛中のらOLスザンナに言い寄る話、みたいな。そんなプロダクションは誰かが考えずみてあると思いますが。

2012/2013シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

春のさかりももう終わりですか。春は光速で去って行きます。


いやあ、もう、週末に限って体調を壊すというモーレツ社員でして、朦朧とした中で、モーツァルトとのフリーメーソンな世界の中にいるのは半端なく辛い体験でした。

なので、オール日本人キャストの魔笛をちゃんと聴けたかというと、これはもうなんともかんとも。

ただ、すこし事故があったとはいえ、望月さんの安定した技巧に驚きました。

なにより萩原さんのパパゲーノの剽軽ぶりに驚きました。

おそらく、これも事故と思いますが、本当は舞台からせり上がってくるはずのワインが出てこなかったところ、うまくやりおおせていたなあ、と思います。時に日本語も交えていましたし。

萩原さんの印象は、ヴォツェックのカバーに入っておられた時に、オペラトークでピアノ伴奏でヴォツェックを歌ったときの印象が強いのです。真面目なイメージでしたが、良い意味で裏切られました。

タミーノの砂川さんもお美しくあり、かつダイナミックな歌で、感動でした。

ザラストロの松位さんも相変わらずの美声でした。

悔やまれるのは私は私の体調のみ。全くついてません。

最近、仕事は修業なので、どんなに辛くても耐えられるのですが、身体はついて来ませんね。もう少し大人になります。

Opera,Richard Wagner

いや、申し訳ないですが、さすがに体力が。。

というのも、3月からの仕事の方の春祭りが絶好調で、私もほとんど祭り気分で働いているんですが、まあ、たまに週末に休むとどうしても気が抜けて、そうするとドッと疲れが出てしまう感じ。

昨日、英会話で、ジャックというイギリスの若者に「月曜日には25時間連続で働いたよ」といったら、ジャックは言葉を失いました。

「で、2時間仮眠してまた夕方の5時から11時まで働いたよ」といったら、さらに言葉を失いました。

それから、「日曜日にはオペラを見るんだけど、5時間半あるんだ」といったら、何も話さなくなってしまいました。

その後、ポツリと「日本人じゃなくてよかった。。。」とのこと。

これだけ働いて、2%給料が上がらなかったらアベノミクスを批判します。冗談です。

というわけで、本日は上野の東京文化会館にて「ニュルンベルクのマイスタージンガー」をたっぷり聞いて来ました。

過程を省いていっちゃうと、三幕第一場最後の五重唱以降は涙が止まらないですよ。カタルシス。

フォークトのヴァルターは強力過ぎます。最後のあの歌、嗚咽をこらえるのに必死。

一年ほど前にこちらのCDを紹介しましたが、もう一度紹介しておきます。ここで、聞けますよ。

フォークトについてはこんな記事を昨年書いています。

新国立劇場「ローエングリン」タイトルロール、フォークトの記事が朝日新聞夕刊に。

フォークト、確かに絶好調ではありませんでしたが、十分観客を鷲掴み。それどころか、女声合唱団の心も鷲掴みです。カーテンコールで入ってきた時、女声合唱団に投げキッスをしたんですが、とたんに女声合唱団が沸きに沸いたそうです(カミさんの目撃情報)。

ワーグナーのオペラは、5時間かかるからこそ感動するんだろうなあ、と思いました。

で、ストラヴィンスキーがバイロイトを酷評しているのを思い出しました。

この逸話、岡田暁生さんの著書「音楽の聴き方」(中公新書)で読みました。狭くて硬い座席で座って「宗教儀式」のようなオペラを聴くことのへの疑問です。

ただ、これ、宗教儀式だとしたら合理的すぎます。5時間の労苦の先にあったのは、ヴァルターの甘美な歌に酔いしれ、ハンス・ザックスのドイツ讃歌にぐっと胸を掴まれますので。

5時間の時間は、いわば悟りを開くための苦行であり、その労苦への報いが最後の感動なんだなあ、と。

それから、他にも色々発見しました。

このオペラ、リヒャルト・シュトラウスの「カプリッチョ」と「ばらの騎士」だわ、みたいな妄想。

意外と、ハンス・ザックスとエファが互いに持つ変な恋心みたいなものが、興味深いですよ。これ、今回はじめて気づきました。これが、「ばらの騎士」。あとは、オペラの中で芸術論ぶってしまうところが「カプリッチョ」だなあ、というのは普通の考えです。

明日も続きます。もう少し細かく書かないと。

明日は5時半に起きなければならないのでこのへんで。

NNTT:新国立劇場

昨日、かみさんから、「帰ったらいいニュースあるよ」とメールが来たので、なにかな? と思って帰ってみると、新国立劇場から電話があったそうな。

なんでも、6月のコジ・ファン・トゥッテ、NHKの収録があるそうなんですが、私の席だとカメラに遮られて舞台が見られなくなるのだそうです。ということで、座席がA席からS席に変更になりました。無償です。やった!

で、私、いつもの不屈の精神で、席は希望できるんですか? と図々しくも聴いてみたんですが、まあやはりダメみたいで、指定された席ということです。舞台下手方面ですが、割と近い席のようで満足です。

まあ、ほうっておくとクレームものですが、こうしてわざわざ電話してくれるのはありがたいばかりです。

艦長就任一週間は嵐の中の航行でした。晴れる気配なし。いつまで荒波を乗り越えればいいのか。乗員の安全が第一。

Opera

短信ですが、ラモー、いいっすね。

この映像を見るだけで、私は昇天しました。

洒脱で軽快。現世を忘れるのにはピッタリです。

明日で今年度もおしまい。来年度からは艦長に就任します。

Opera,Tsuji Kunio

アレヴィの「ユダヤの女」を知る機会がありました。本当に興味深いのでご紹介です。

こちらの本を参考にしました。素晴らしい本です。別の折に詳しく紹介する予定です。

アレヴィの「ユダヤの女」についても、別の機会に紹介しますが、今回は登場人物のラシェルについて。というか、ラシェルをめぐる面白い事実について、です。

プルーストのラシェルという女

「ユダヤの女」の登場人物の一人が、タイトルロールと言ってもいいのかもしれませんが、ユダヤ人女性のラシェルです。このラシェルという名前ですが、「フランス・オペラの魅惑」においては、プルースト「失われた時を求めて」に登場するラシェルという娼婦の元ネタではないか、と指摘されています。ラシェルはサン=ルーに愛されるのですが、その後女優になるという設定です。

辻邦生のラシェルという女

実は、辻邦生「夜」という作品にもラシェルが登場します。この「夜」という小説は、4人の主人公の独白が組み合わされたもので、そのうちの一人である高級官僚が関係をもつ娼婦の名前がラシェルでユダヤ人の女という設定になっています。

こちらについては、「失われた時を求めて」を読んでいた頃には気づいていたんですが、その時は私はアレヴィの「ユダヤの女」まで辿ることはできていません。

辻邦生がラシェルを登場させたのは、おそらくは「失われた時を求めて」からとおもいますが、作中設定としては、フランス人としてはユダヤ人女性がラシェルという名前であるといういことは、アレヴィからもプルーストからも想起できる共通認識なのでしょうか。

実在したラシェル

さらにおもしろい事実。ラシェルというユダヤ人の女優は実在しているんですね。19世紀半ばに活躍した悲劇女優だそうで、本名はエリザベート・フェリクス。1837年にパリでデビューしています。テアトル・デュ・ジムナーズ マリー・ベルという劇場にて「La Vendéenne」でデビューしたとあります。


アレヴィの「ユダヤの女」の初演は1835年です。

では、1837年にデビューした時に、ラシェルと名付けたのは誰か?

ウィキペディアによれば、舞台監督の監督のポワソンという男のようです。ですが、ラシェルというのは、このエリザベートが普段使っていた「名前」を選んだのだそうです。ですので、ラシェルの原点がアレヴィによるものなのかどうかはわかりません。アレヴィから来ているのか、偶然なのか。

プルーストのラシェルは、もしかしたらこちらのラシェルも関係するかもしれません。女優になるというのはパロディにも思えますし。謎です。

そもそものラシェルとは?

ラシェルとは、聖書においてはラケルと表記されるようです。創世記に登場する人物で、ヤコブの妻に当たる人です。

知れば知るほど面白いです。

というわけで、また明日。書くことがたくさんですが、もっと書く速度を上げないといけないですね。がんばります。

2012/2013シーズン,Giuseppe Verdi,NNTT:新国立劇場,Opera

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あー、これがオペラなんですね。私、なんで知らんかったんだ。。

とおもってしまうぐらい圧倒的なパフォーマンスだった新国立劇場の「アイーダ」でした。

このプロダクションは1998年の開場時のものです。それから14年ですが、まだ色あせていません。帰り際に思い立ちました。これは無形文化財なんじゃないか、と。

作ったのはゼッフィレッリ。

ここまで絢爛、というのは誰しもが思うもとです。加えて、舞台に奥行きがあるのです。何時もにもまして。

ギリシア風よりも野太く無骨な柱がそそり立つ柱廊がはるか先まで続いているように感じましたし、神殿の奥の薄暗い奥から立ち昇るアウラを感じたり。

衣装の意匠も素晴らしく、無からの創造よりも、古代エジプトの絢爛を汲み上げて再構成するほうが余程苦しいプロセスだと感じるほどでした。

生きた馬が登場するのは、知っていましたが、実際に見ると迫力抜群です。

「アイーダ」ともなると、超人気演目ですので、いつもとは違うお客さんが多いようで、なかなか面白く、例えば、指揮をしたミヒャエル・ギュットラーがカーテンコールで舞台上に姿を表すと、「キャー、イケメン指揮者っ」、とか「マジカッコいい、マジカッコいい」という声があちらこちらから聞こえてきたように思います。まあ、確かにイケメン指揮者なので異存はありません。

ミヒャエル・ギュットラーは、前回「フィガロの結婚」で登場しましたが、あの時は音楽の制御にずいぶん苦労していたように思いましたが、今回は、冒頭は少しハラハラしましたが、以降はオケ合唱含めて最後まで統御し切っていました。テンポのコントロールは前回の「フィガロの結婚」の時のように無理矢理感がなく、流れの中で波立たせるところは波立たせ、流すところはきちんと流す説得力の高いものでした。

キャストですが、外国勢三名は、大オケと張り合う強力な声量の持ち主でした。特にアムネリスのマリアンネ・コルネッティの最終幕は素晴らしかったです。パワーと情感が混然一体となっていました。

アイーダのムーア、ラダメスのヴェントレも声量はバッチリ。もちろん細かい点に気になる点などはありましたが、やはり声量がないといけません。

冒頭、みんな、なんだか疲れているようで、縦線が合わなかったり、歌の細部の処理がうまくいっていなかったりと随分心配したのです。ところが、ムーアが登場して、アイーダをガッツリ歌った途端に空気が変わりました。少なくとも私の頭のネジががっちり締まったのがよくわかりました。すごかったですよ。

いろいろと思うようにならないこともありますが、十指に入る名演といっていいと思います。4時間きっちり堪能することができたと思います。

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暮れなずむ新国立劇場はほんとうに美しいです。特にこの手摺のランプに灯りが灯るのが最高です。

本日は一旦ここまで。書きたいことたくさんだなー。

Opera

しかし、働きすぎです。でも、今のところですが、しんどいけどなんか面白い。まあ充実してるんでしょうね。なーんちゃって。明日も頑張ります。

今日からドビュッシーのペレアスとメリザンドを聞いています。フランスものが聞きたくて。

この響きはパルジファルなんですね。柔かな響きの中に無数のゆらめきが遊弋しています。

後悔してもしきれないことがあります。故若杉弘さんが新国立劇場で振った「ペレアスとメリザンド」を聴きにいかなかったことです。本当に残念。行けば私にとっての世界が変わっていただろうに。

そういう意味では、オペラに行くたびに私にとっての世界が変容して行くのでしょうね。ひとつの強固なオペラという実在に接して、世界が少しずつ開いて行くような。

それは、多分CDで聞いたりやDVDで見るオペラより、実演に接した時のほうがより一層強く感じるとおもいます。

「ペレアスとメリザンド」、CDで聴いてもこんなに刺激にあふれているのだから、実演だったらなあ、と。新国立劇場でやってくれればいいのに。

まだまだ実演で聴きたいオペラたくさんあるなー

Opera

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縁あって上野にて東京二期会公演「こうもり」を。

実に楽しい三時間半でした。

日本語の歌詞が以外にもフィットしたので驚きました。これまでは原語主義者でしたが、考えを改めました。

日本語も楽しい。というか、贅沢な話です。ありがたいことです。

歌手の方々

まずは、アデーレを歌った坂井田さん、素晴らしいです!

傷のないピッチと豊かな声で、独唱のところは何処もすごかったです。二幕の公爵様、のところは、特に。涙出ました。

どこかでみたことがあると思ったら、2010年の東京春祭パルジファルに出演しておられましたね。この方は本当に楽しみです。このすこし深みのある声はオクタヴィアンだ!と思いました。ケルビーノを歌ったこともあるようですので、なくもないでしょう。楽しみです。

あとは、イーダの井関さんもさんももちろん素晴らしかったです。坂井田さんと組んでいるところ、良かったです。

小貫さん、三戸さんも素晴らしかった。二人の体を張った(?)演技が、素晴らしくて素晴らしくて。もちろん歌も!

歌手の方々、みんな振りがすごくそれっぽく、つまり、本場っぽい身のこなしで、雰囲気がずいぶん伝わってきました。

ここ、実は少し不安だったのです。でも、予想を遙かに超えて、とても楽しめました。

おもしろかったのは

おもしろかったのは、第三幕で「誰も寝てはならぬ」が出たところかなあ。大喝采でした。みんな大好きプッチーニ。

第一幕では「椿姫」が引用されたはずです。悪のりして「乾杯の歌」でもでないかなあ、と思いましたが、さすがにそこまでは行かなかったです。

指揮者大植さん

大植さんの指揮をみるのははじめてでしたが、あそこまでのアクションは、かえって圧巻です。きっとああいう感じでオケや歌手を乗せるんでしょうね。

私の印象ではもっと重くなるかなあ、と思いましたが、さすがに「こうもり」ですので、ドライブさせるところはドライブさせて、貯めるところは貯めて、締めるところは締めて、というところで、メリハリのあるわかりやすい指揮でした。

個人的には、これからエア・大植を練習しようと思います。

それにしても

日本人キャストだけでここまで楽しい時間を作れるとは、と思います。ドイツ人が日本語で歌舞伎か吉本新喜劇をやるようなものと思えば、その偉大さがよくわかります。

このあと書く予定なのですが、幕前に国立西洋美術館に行って、西欧にどれだけ日本がコミットしたのか、その凄まじいエネルギーを認識したあとだけに、日本の西洋音楽もここまで凄いのか、という驚愕と尊敬と畏怖を感じました。

ただですね、これが泡沫ではないか、という恐れもあるのですよ。

今の日本が置かれているのは、第一次世界大戦前夜にもまだウィナーワルツに酔いしれたウィーンなのではないかとも思ったり。

昨今の日本をめぐる暗雲立ち込める国際情勢を思うと、この煌めきが刹那的に思うのです。砂上の楼閣のように一瞬で崩れ落ちてしまうのではないか、という悪い予感。

なんだか戦前の東京をみるようで。。

今日のお昼に聴いた「ラ・ヴァルス」でも感じたことです。

というか、今日の体験がすべて連関していて恐ろしいです。

私の予感が現実にならないように願います。何も出来ないのがもどかしいですが。

参考CD

こちらなどいかがでしょう。こういうのはクライバーがやっぱりうまいです。

それではまた明日。次は国立西洋美術館のことを書く予定です。