Roma2008

もう2年前のローマ紀行。まだ終わっていなくて、気になっていたのですが、重い腰を上げます。

フォロ・ロマーノは、ローマ帝国時代の政治の中心地。いろいろと興味深い。フォロロマーノの外縁部にはコロッセオもあります。
ちょっと写真を載せましょう。
まずは高台からの前景。

ティトゥスの凱旋門。ティトゥスはヴェスパシアヌス皇帝の息子であり、あのモーツァルトのオペラでも取り上げられている。なかなか良い皇帝だったのだが、早世してしまった。で、彼の一つの業績がイスラエル戦役で、それを記念した凱旋門なのである。

で、これがおそらくティトィウス。

反対側には、ユダヤの象徴の燭台が彫り込まれている。

ちなみに、昔も取り上げましたが、ヴァチカン美術館にあるティトゥスの像はこちら。

かなり天気が良く、けれども風が激しくて砂埃が舞うという感じ。

良い天気で、気持ちよかったのだが、コロッセオには入場時間に間に合わず中に入れなかった。まあ、トレビの泉に寄付したからまたこれるでしょう。

Opera

執拗に桜。だが、美しすぎる。桜がなぜ美しいか。それは緑色の葉っぱなしで咲くから。従って、葉桜ともなるとその魅力は減じてしまう。

今日は二日目。そのとして、メゾソプラノ、アルトについてのまとめ。

ドラマティック・メゾ・ソプラノ

  • <コジ・ファン・トゥッテ>ドラベッラ
  • <ドン・カルロ>エボリ公女
  • <リエンツィ>アドリアーノ
  • <タンホイザー>ヴェーヌス
  • <ローエングリン>オルトルート
  • <トリスタンとイゾルデ>ブランゲーネ
  • <ラインの黄金>フリッカ
  • <ワルキューレ>フリッカ
  • <神々の黄昏>ヴァルトラウテ、ヴェルグンデ、第二のノルン
  • <パルジファル>クンドリ

リリック・メゾ・ソプラノ

落ち着いた、低域の安定した声。

  • <ヘンゼルとグレーテル>ヘンゼル
  • <蝶々夫人>スズキ
  • <さまよえるオランダ人>マリー
  • <ニュルンベルクのマイスタージンガー>マクダレーナ
  • <ラインの黄金>フロスヒルデ

ドラマティック・アルト

起伏のある表現が可能な低い声。

  • <サムソンとデリラ>デリラ
  • <トロヴァトーレ>アズチェーナ
  • <ラインの黄金>エルダ
  • <神々の黄昏>ヴァルトラウテ、第一のノルン

ティーファー・アルト

最低音域の女声。暗い色彩を求められることが多い。

  • <仮面舞踏会>ウルリカ
  • <ジークフリート>エルダ
  • <神々の黄昏>第一のノルン、フロスヒルデ

わたしが新国で見たエレナ・ツィトコーワはドラマティック・メゾ・ソプラノであるはず。おそらくここには、「ばらの騎士」オクタヴィアンも分類されるでしょう。アンネ・ゾフィー・フォン・オッターもドラマティック・メゾ・ソプラノでしょうか。クリスタ・ルートヴィヒは、ドラマティック・メゾ・ソプラノですし、「蝶々夫人」でスズキも歌っていますので、リリック・メゾ・ソプラノとも言えましょうか。

ちょっとこのまとめは勉強になります。

Opera

散りかける桜の花のなかから美しいところを選んでみました。このレンズ、かなり絞らないとエッジが効かないんですが、少々暗めでしたので、絞りきれず、若干ぼやけた印象に見えるのが玉に瑕。カメラ道も厳しいです。

さて、先日読んだ堀内修さんの「ワーグナー」に声の種類と、それに応じた配役について、ワーグナーを例にとって詳細に説明してある大変秀逸な部分がありました。私の勉強をかねて、4日に分けてまとめてみたいと思います。

本日は第一回ということで、ソプラノ篇です。

スーブレット

非常に軽い声のソプラノ

  • <フィガロの結婚>スザンナ
  • <バラの騎士>ゾフィー
  • <リエンツィ>平和の使者
  • <タンホイザー>若い牧童
  • <ラインの黄金>ヴェルグンデ

リリック・コロラトゥーラ・ソプラノ

非常に高い声でのコロラトゥーラがある。

  • <後宮からの逃走>ブロンデ
  • <ホフマン物語>オランピア
  • <ラインの黄金>ヴォークリンデ
  • <ジークフリート>森の小鳥

リリック・ソプラノ

もっとも自然な領域。高温も低音も均等に出せる。

  • <魔笛>パミーナ
  • <アラベラ>ズデンカ
  • <タンホイザー>若い牧童
  • <ラインの黄金>ヴェルグンデ

ユーゲントリッヒ=ドラマティック・ソプラノ

十分なやさしさ、やわらかさを持ちつつもう少し強さのあるもの。

  • <カルメン>ミカエラ
  • <オテロ>デズデーモナ
  • <エレクトラ>クリソテミス
  • <リエンツィ>イレーネ
  • <タンホイザー>エリーザベト
  • <ローエングリン>エルザ
  • <ニュルンベルクのマイスタージンガー>エヴァ
  • <ラインの黄金>フライア
  • <神々の黄昏>グートルーネ

ドラマティック・コロラトゥーラ・ソプラノ

振幅のある劇的な歌唱。コロラトゥーラもできること。

  • <サロメ>サロメ
  • <椿姫>ヴイオレッタ
  • <神々の黄昏>ヴォークリンデ

ドラマティック・ソプラノ

振幅の激しい劇的な歌唱。多くのオペラで主役となる。

  • <トスカ>トスカ
  • <ペレアスとメリザンド>メリザンド
  • <サロメ>サロメ
  • <タンホイザー>ヴェーヌス
  • <ローエングリン>オルトルート
  • <ワルキューレ>ジークリンデ
  • <神々の黄昏>第三のノルン
  • <パルジファル>クンドリ

ホッホドラマティッシャー・ソプラノ

強力な声で非常に激しく劇的な表現を行う。

  • <エレクトラ>エレクトラ
  • <さまよえるオランダ人>ゼンタ
  • <タンホイザー>ヴェーヌス
  • <ローエングリン>オルトルート
  • <トリスタンとイゾルデ>イゾルデ
  • <ワルキューレ>ブリュンヒルデ
  • <ジークフリート>ブリュンヒルデ
  • <神々の黄昏>ブリュンヒルデ

テオリン様や、エヴァ・マルトン、ヒルデガルド・レーベンスは、間違いなくホッホドラマティッシャー・ソプラノですね。上の表にはありませんが、トゥーランドットもこちらに分類されるはず。フレミングはユーゲントリッヒ=ドラマティック・ソプラノに分類されましょうかね? 「ばらの騎士」マルシャリンや、「カプリッチョ」伯爵夫人マドレーヌはこちらかと。

ソプラノと行っても一言じゃ言い表せませんね。メゾとコンバートすることもありますし。

明日は、メゾ・アルト篇です。

Opera

近況

水曜日の夜勤のダメージをまだ負っていて、ぎりぎりの電車で会社にいっちまいました。情けないのう。がんばれ。

どうもお疲れのようで、ヘッドフォンを家に忘れてしまいました。こういうときのためにバックアップのイアフォンをバッグに忍ばせてありますので、事なきを得ました。本当によかった。会社にもバックアップイアフォン置いておこう、と決意。

私、音楽がないと生きていけません。いわゆる昔のタワレコ的に言うと「No Music, No Life」という感じ。そういう意味では音楽中毒。あ、中毒というと、ほかにもいろいろ。物書き、活字、コーヒー、レッド・ブル、飛行機、薬……。あとはここにEWIが追加となる予定。いろいろあるなあ。でもがんばろう。

パルジファル再び

さて、自分のブログ読み直していたら、またパルジファルが聞きたくなりました。昼休みのひと時、カラヤン盤の第三幕を聴きながらしばし涙にくれるひととき。なんで、こんなに感動的なんですかね。こういう感情は、言葉にしてしまうと、するりと逃げられてしまうんですが、そこをどう書くかが腕の見せ所なんですがね。

ワーグナー本を読んでいたら、いまさらワーグナーについて語るなんて、結局は先人の道を辿るに過ぎないんですが、頭の体操としては面白いですし、考えるプロセスも面白い。ここに音楽的な知識をつけて、解釈していけるようになるのが夢というか目標。今からでは遅いかもしれないですが、何事も遅いということはないといったのは誰でしたっけ。まあ、がんばります。

「パルジファル」聖性と性性の混合なんですけれど、これがますますもって不思議さや不可解さを助長している。「パルジファル」の作曲は1877年に始まり1882年7月26日にバイロイトで初演されている。フロイトが精神分析理論を展開するのは開業した1896年からで、あのグスタフ・マーラーもフロイト治療を受けていたりする。ちなみにフロイトもユダヤ人。

しかし、クルト・モルのグルネマンツは本当にすばらしいですねえ。今日はイアフォンなので、声のよさを十全には楽しめていないかもしれませんけれど、それにしてもすごい。これ、いいオーディオで聴いたらもっとすごいんだろうなあ。

Opera

本日の各紙朝刊を飾っている、第二弾の事業仕分け。対象は独立行政法人と言うことで、新国立劇場が属する独立行政法人である日本芸術文化振興会がどうなるか、と気にしていましたが、一旦の対象である54の独立行政法人からは除外されている模様です。

朝日新聞のソース

http://www.asahi.com/politics/gallery_e/view_photo.html?politics-pg/0408/TKY201004070549.jpg

時事通信のソース

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010040700827

だからといって、まだ決定ではなく、4月20日頃に首相が決断するそうです。

それから気になるのは、事業仕分け機能自体のこと。

行政刷新会議

この事業仕分けはあくまで「判定」であり、仕分け人に予算削減を行う権限・強制力はない

この記載がwikiにあるのですが、先だっての記事のように、実際に大なたでなぎ払うという正確のものではなく、パフォーマンス重視であるかのようにも思えてきます。

これ以上は差し控えますが、私が昔読んでいた「音楽芸術」の記事を思い出しました。当時やっていたバンドのホームページに載せていた記事を引用。12年前に私が書いたものです。グーグル・デスクトップ・サーチ(GDS)で瞬時に検索に引っかかってきました。だからGDSラヴ。

それで、今月号の「音楽芸術」1誌は、ガーシュイン特集で、興味深い論文が掲載されていて結構楽しんでいます。「ガーシュインとアメリカ文化」と題された特集では、まず十九世紀終わりから二十世紀初めにかけてのアメリカ文化の概説的な論文があって(「ジョージ・ガーシュインとアメリカ文化」瀬川昌久)、当時のアメリカを取り巻く社会的、文化的な動向(産業化、欧州大陸からの移住者の増加、文学の動向、大恐慌…)が述べられ、ガーシュインの生きた時代についての共通認識地盤を得ることができました。 大恐慌期にアメリカ政府は「ニューディール芸術計画」というを推進し、芸術家の失業救済事業を行っていた、ということを初めて知り、同じ不況でも今と昔ではやることが違うなあ、と思ってしまいます。財務省絵画・彫刻部、雇用促進局文化部門などと言った政府機関が美術家を雇用し、公共建築物の装飾を担当させたり、その作品の定期的な提出を条件に給料を支払うなど、今ではなかなか聞いたことのないような政策をとっていたとのことです。

ちなみにこちらの引用で述べられている「不況」は山一証券破綻前夜の大不況のこと。この後我々はさらにITバブル崩壊と、リーマンショックという二つの不況を経験したことになります。どうりで歳食ったわけだ。

関連記事はこちら

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1 「音楽芸術」1998年9月号 音楽之友社

Book,Richard Wagner


また桜。そろそろ散り始めているかしら。。。
ワーグナー関連本を二冊を読み終わりました。いずれも新書です。マンの著作を読む前に参考になるかな、と思い手に取った次第。こっちを先に読み終えてしまいました。

はじめての『指環』―ワーグナー『ニーベルングの指環』聴破への早道 (オン・ブックス21)
山本 一太 / 音楽之友社 (2005-10-01)
本・雑誌
堀内 修 / 講談社 (1990-12)

堀内修さんは、今年(2010年)のNHKニューイヤーオペラコンサートのロビーでお姿をお見かけしました。この本は、ワーグナーを巡る情勢がよく整理されていて大変お勧めです。特に歌手の分類記載がよかった。ヘルデン・テノールとかドラマティック・ソプラノなど、歌手の特性とそれぞれの役柄について記載がなされています。たとえば、ヘルデン・テノールはジークフリートやジークムントを歌いますが、シュピール・テノールはミーメを歌う、などなど。これは別記事で取り上げる予定。大変勉強になりました。私、オペラを見始めてもう8年になりますが基本的な勉強はしておりませんゆえ、いまさらながらでお恥ずかしいのですけれど。
山本一太さんの「はじめての<<リング>>」は、リングを一通り見聞きしている方にとっては少し物足りないかもしれませんが、逆に言うと、これから聴かれる方には必読だと思われます。私の場合、里中真智子さんのマンガであらすじをつかむという邪道な道を歩きましたけれど。すでにリングを聴き通しておられる方にとって興味深いと思われるのは、第五章「<<指環>>こだわり篇」ではないでしょうか。
ちなみに、マンガはこちら。

ニーベルングの指環〈上〉序夜・ラインの黄金、第一夜・ワルキューレ (中公文庫―マンガ名作オペラ)
里中 満智子
中央公論新社
売り上げランキング: 8344
おすすめ度の平均: 5.0

5 文句なしの5つ星
5 いい本です

ここでは、一つわからなかったことのヒントを見つけることができました。つまり、どうしてジークフリートはブリュンヒルデと分かれて、旅立たなければならなかったのか。別に、二人で引きこもっててもいいんじゃない? みたいな。でも、まあ外界と触れないと生きていけませんので、特に資本主義社会においてはなおさら。それで、この本によれば、英雄たる者、各地の王から貢ぎ物を取り立てなければならないのであるから、ジークフリートは、取り立て屋のごとく、各地の有力者を回って朝貢品を求めていたとは。なるほど。

Opera,Richard Wagner


ちと、桜の写真をば。これも先週末に撮りに行ったときのもの。日曜日以降、天気が悪くなりましたので、今年最後のチャンスだったというわけです。
さて、パルジファル。妄念炸裂中なのですが、先だっての「ジークフリート」、「神々の黄昏」の妄想なんて、ワーグナーが亡くなって100年以上も経っている中ですでに論じられていたことではありますが、まあ、パフォーマンスに接することで独力で理解できた部分を再構成しているということで、お許しください。学術論文を書いているわけでもありませんので。ワーグナーのことなんて、もうありとあらゆる説が出回っているでしょうから、何を言っても先人の遺業をなぞるに過ぎない。でも、なぞりたくなってしまう。そういう感じです。
しかし、「パルジファル」は不思議なオペラであります。まあ、真正のオペラではなく舞台神聖祝典劇と称されるだけあって、なぞだらけ。そうしたわからないことは以下のようなもの。
なぜ、クンドリはすべて知っているのか? クンドリは、まるで、ブリュンヒルデがジークフリートの出自を語るかのごとく、パルジファルの出自の秘密を語ってみせるのですが、なぜクンドリはそうした知識を持っているというのでしょう? あまりに謎すぎる。クンドリは、昨日も触れたように、イエス受難を見ているんですよね。時間と空間を超える能力を持っていなければ、そうできないはず。難しい。
あとは、クリングゾルのこと。これも、やっぱりミーメと我々の関係に似ていて、クリングゾルのほうが現代の人間的である。聖杯守護の騎士になろうとしたのだが、ティトゥレルに拒まれたが故に、その仕返しに、色仕掛けで騎士達を堕落させるとは。これって大衆操作と一緒だなあ。我々はパルジファルよりもこざかしいが故に、大衆操作の対象となっているとは。リングもそうですが、じつは悪役の方が自分たちに近いと思ってしまうのはなぜなのか。
あともう一つ。クリングゾルはなぜ自ら去勢したのか。去勢したが故にクンドリの魅力に落ちることなくそれを利用することができるとは何を表しているのか。
先にも書いたようにこのオペラは性的メタファーに満ちあふれていて、それでいながら聖なるものを扱っているので、整理するのが大変です。素人の手には負えない。でもあきらめたくない。 頑張ろう。


これ、会場で売っていたリブレットなんですが、凄く秀逸。四段組になっていて、左から、音楽的考察→原文→邦訳→解釈 という構造。すばらしい。2500円じゃ安いぐらいです。

Opera,Richard Wagner



さて、昨日の「パルジファル」、先日の「神々の黄昏」と同じく、あまりにも強い雷撃を受けてしまいました。今朝は起き上がれず、いつもなら始業80分前には会社にいるんですが、今日は20分前にようやく到着。さすがに心身ともに大ショックだったらしいです。
私が泣いたところ。

私が泣いた1カ所目

一カ所目は、第二幕、パルジファルが「アムフォルタス!」と絶叫するところ以降。あそこのパルジファルの叫びが一つの頂点で、その後のクンドリの「笑った」の絶叫ももう一つの頂点。
クンドリが「あの人」というのはイエスのことで、彼を見て泣くのではなく笑ったのだという。「笑った!」、って、あの「ジークフリート」の最終幕の「笑って死を!」を思い出すじゃないか。「笑い」って、哲学的には非常に難しくて私は理解しておりません。古くはアリストテレスに「笑い」に関する著述があったのでは、というミステリになったのが「薔薇の名前」でした。ニーチェやらベルグソンやら。ただ、この「笑う」という言葉にはグサリと胸を貫かれましたですよ。しかもあの絶叫ともいえる強烈なフォルテで。
クンドリがイエスの受難を見た、という事実も私の胸にぐさりと来ました。何百年もクンドリは呪われ傷つき苦しんでいたのだということ。死ぬこともなく生きることもなく。ああ、なんということか。救いが死とは。

私が泣いた2カ所目

二カ所目は、第三幕でパルジファルが来歴を語るところ。なんというか、人間の根源的な罪状を突きつけられている気がしてきて、完全に感情移入しちまいました。苦労して遍歴し彷徨し、聖槍を使うことなく、聖金曜日に聖杯の元にたどり着くという労苦。まあ、私の苦労なんてどうということもないんですが、なんだか辛い十年間を過ごしていて、まあ、まだ状況は変わらないのですが、なんだかまだ希望があるかのように思ってしまいまして、ボロボロと涙が頬を伝って言ったというわけ。
私の同世代以上の方々は、みんなして涙腺が緩んでくるとおっしゃいますけれど、私もしかり、です。前に「涙が出ないと、入場料の元をとった気がしません」と書いた覚えがあるのですが、今回の「パルジファル」は、そう言う意味では元を取りまくりました。

Opera,Richard Wagner

今日は復活祭。
小学生低学年の時分は、リンドグレーンの「やかまし村」シリーズにのめり込んでいました。親からは早く寝なさい、と叱られていたのですが、豆電球をつけて布団の中でこっそり読んでました。昔から本は大好きということのようです。
で、「やかまし村」シリーズに、復活祭の描写があるんです。イースターエッグを探す場面でした。小学校の時分は全く何のことかよく分からなかった。
当時は、伝記もたくさん読んでいて、シュバイツァーとか、ニュートンとか、まあ、よんでるわけで、それに加えて「ロビンソン・クルーソー」なんかも読んだりすると、自ずとキリスト教文化に触れることになります。で、どうも復活祭というのはキリストと関係するらしい、という風に思って、親に「キリストの伝記を買って」とお願いしたら、拒絶されました。まあ、うちは葬式仏教ですので、抹香臭いのがいやだったんでしょうね。
とはいえ、復活祭の定義とは以下のようなものらしい。
# 春分の日を過ぎている
# 春分の日の直後の満月を過ぎている
# その直後の金曜日が聖金曜日で受難の日
# その直後の日曜日が復活祭
というふうに、購入した大変秀逸なブックレットには書いてありました。ウィキにはそこまで厳格には書いていないのですが。で、先日、撮った満月の写真、あれ、偶然撮ったんですが、今日を暗示していたように思えてくる。

というわけで、本日はパルジファルに行って参りましたですよ。写真は明日。
先日の「神々の黄昏」以来、ワーグナー漬けな毎日ですが、もうしばらくそれは続きそう。詳しい話は明日から少しずつ書いていきますけれど、ソリストの方にはみんなブラービと言いたい。つうか、今日の主な出演者の方のお名前を。
* 指揮:ウルフ・シルマー
* パルジファル:ブルクハルト・フリッツ
* クンドリ:ミヒャエラ・シュスター
* アムフォルタス:フランツ・グルントヘーバー
* グルネマンツ:ペーター・ローズ
* クリングソル:シム・インスン

クンドリ

ブラーヴァはやっぱり、クンドリのミヒャエラ・シュスター。あの圧倒的な第二幕のダイアローグは涙が止まらない。強力無比なワーグナーソプラノ。ジークリンデがレパートリーと書いてあるけれど、どちらかと言えばブリュンヒルデだと思います。

パルジファル

それから、もちろんパルジファルのブルクハルト・フリッツも。クンドリと接吻した直後に「アムフォルタス!」と絶叫するんですが、あそこ以降で、もう涙涙。私、今日は前から四列目だったんですが、シュスターもフリッツも私の涙が見えていたと思う。客席の照明はあまり落とされていませんでしたので。

アムフォルタス

アムフォルタスのグルントヘーバーは、なんだか疲れ死を望んでいるのですから。でも、ここぞというところのパワーはすごいものがあった。苦悩をうまく表現しておられるのですよ。それがですね、蝶ネクタイを外したりつけたりしていることで表している。第一幕の冒頭部ではネクタイを着けていない。なぜなら水浴するから。その後の聖餐の場面では蝶ネクタイを着けている。第三幕では、疲れ切っているのでネクタイを着けていない。うーむ。考えられている。

グルネマンツ

グルネマンツのペーター・ローズ氏は、2007年の私の中ではすでに伝説となっているペーター・シュナイダーの「ばらの騎士」でオックスをやっている。そのときより少し太った感じ。でも、圧倒的な存在感でした。もちろんクルト・モルとまでは行かないですが、完全に掌握している。歌手の中でスコア(総譜)を見ていたのは彼だけ。ほかの方はパート譜を見ておられました。

ウルフ・シルマー

以前も触れたように、シルマーの指揮には結構触れています。
“https://museum.projectmnh.com/2010/04/02221204.php":https://museum.projectmnh.com/2010/04/02221204.php
ですが、指揮をする姿を見るのは初めてでした。なぜなら、すべて、彼はピットに入っていたから。私の席、前から数列目で、ちょうど指揮台の真後ろというなぜかすばらしい席だったんです。シルマーの動き、すごいっすよ。鋭角でエッジの効いたタクトで、Twitterにも書きましたが、あれはもう阿修羅です。きっとマーラーの指揮ってこんな感じだったんじゃないかな、と。あのマーラーの有名なカリカチュアを思い起こしました。
もちろん、演奏自体も優れていました。思ったよりテンポは動かさなかったけれど、ゲネラル・パウゼの緊張感はすごかったし、デユナミークもすばらしかった。何はともあれ、気合いとパワーがすごい。あれ、絶対ジム通っているはず。そうじゃないとあの動きを5時間近く保てないはず。

N響

シルマー氏とN響の組み合わせも今回の楽しみの一つ。いやあ、これが実にいいんですよ。NHKホールの、なんだか散漫な響きとは違って、弦楽器の分厚さとか豊かさが十全に発揮されていました。私の席からは木管や金管は見えなかったんですが、某オケの不揃いなんていう事故はあまりなかったと思います。ロスフィルの映像を見た直後だったんですが、がんばれ追いつけるかも、と思いました。
というわけで、ざっくり感想をば。明日からは私の妄念を考えていきます。

未分類



ことしもあっという間に桜の季節が訪れ、過ぎ去っていく。せっかくなので、夕方、タスクが終わった後に近所の公園に写真を撮りに行ってきました。この街で味わう春は何回目だろうか? 思ったより多くなっちまったなあ。よく考えてみると、この街が私の人生において最も長く住んでいる街になってしまっている。時間は累乗的加速で後方へ走り去る。
さて、本日のわたくし、昨日の交通障害の影響で、少々お疲れ気味でして、毎週土曜日の都心への移動もすっかり眠り呆けてしまい、山手線では「パルジファル」のリブレットを読んでいたら一駅降り損ねてしまうし、地元のジムへと戻るときも、一駅降り損ねてしまうという有り様。明日の「パルジファル」は長丁場ですので、早々に休もうと思いますが、その前に二言ばかり。

ハイティンクの「タンホイザー」

ジム近くのディスクユニオンで、ハイティンクの「タンホイザー」を見つけた。これ、アマゾンでも扱ってなかったので、買ってしまったんだが、序曲を聴いただけで、身震いしてしまった。「ばらの騎士」を聴いたときと同じ感覚です。ハイティンクって、本当に凄い。スピード感が絶妙なんです。全部は聴けていないのですが、これ、「あたり」だと思います。あ、クルト・モル御大も参加しているアルバムだったりもしますので、物欲押さえられませんでした。

芸術劇場のドゥダメル

それから、昨日のNHKの芸術劇場のドゥダメル、今、聴いているんですが、すごいっすね。私は、チャイコの5番を聴いたことがあるだけだったんですが、この方、本名は千秋真一っていう名前なんじゃないですか? シモン・ボリバル・ユースって、ライジングスターなんじゃないですか? みたいな。マンガなんだか現実なんだかよくわからない。
アダムスのシティ・ノアール、委嘱作品で初演とのこと。ノアールって、暗黒映画みたいな意味合いなんですけれど、サクソフォーン奏者の端くれとしては、かなりエキサイティングしてしまいました。アルトが大活躍じゃないですか! っつうか、これ、アルトサクソフォーン協奏曲に聞こえてしまうぐらい。
ジャズフレーバーを感じさせる曲で、サックスやらバスクラが激しい旋律を吹いたり、ドラマーが4ビートたたいていたりする。とおもえば、ベルクのような無調感がただよってくる。ビートが鋭角で冷たい。40~50年代のハリウッド映画からインスピレーションを受けた交響曲的作品です。ロスフィルにふさわしい曲。後半部分は、映画音楽的盛り上がりで、現代音楽といっても、かなりわかりやすくエキサイティングです。
マーラー「巨人」の前座なのでで、こういう場合、よくありがちな難解で短い曲なのか、と想像していたのですが、かなりの聴き応えで、繰り返し聞きたいと強く思う。しつこいですが、アルサク奏者の端くれとして、特に、です。
しかし、こういうクラシックのアルサクの音も良いなあ。どっちかいうと僕はデュコフ派だったんですけれど。
後半のマーラー「巨人」は、ちょっと今日は全部聴けない。でも、当然暗譜ですか。若いって凄い。
っつうか、そうこうしているうちに第一楽章が終わりかけている。すげー、ここまで熱くなるっすか。しかもこの決して早くはない速度でこの盛り上がり方。オケも完全に追随できていてドゥダメルの楽器になっている。うーん、騒がれるだけのことはある。天才っているんですね。さすがです。第二楽章の入りも速度のトリミングが凄いんだが、今日はこのあたりでやめておきます。
明日は復活祭にして「パルジファル」。何が待っているのであろうか。