Richard Strauss

 なんと、iPodがもう帰ってきました。先週の月曜日の夜に集荷があって、戻ってきたのが木曜日の夜。早い。さすがアップル。金曜日の夜に復旧して、週末からはフルフルに使用しました。うれしいです。

そして、もうひとつ。携帯も壊れちまいました。まだ電源は入るのですが、ヒンジがガタガタで、完全に壊れる前に交換したのですが……。ウチの家族はみんなソフトバンクでして、家族割引があると言うこともあって、やむなくソフトバンクにしているのですが、なんだかんだとあくどいです。料金プラン変更しないと機種変更させてくれないし、制度はわかりにくいし。他のキャリアも同じですかね。携帯はほとんどの人が持たざるを得ない状況にあるわけで、そうした弱みにつけ込まれてしまった感じです。

さて、今日はアルプス交響曲です。カラヤン盤、ケンペ盤をよく聴いていたのですが、小澤盤を先だって入手しましたので聴いております。小澤征爾さんらしいうねりと粘りが感じられます。「頂上」あたりに達したときにそれを強く感じました。おそらくはテンポを緩めるところや、ためるところからそう感じると思うのですが、テンポを落とすと言うところに落ち着くような単純な話しでもなさそうです。

先だってからよくこの場に書いているシュナイダーさんの指揮とは明らかな質の違いがあると感じます。小澤さんの指揮にはある種強い意志のようなものを感じます。なにかをねじ伏せようとするほどの強い力なのですが、シュナイダーさんの指揮はなにか自然に寄り添うようなわき上がる欲求的意志のようなものを感じます。

小澤征爾さんのウィーン国立歌劇場の人気は来年まで。8年つとめたのですが、あっという間でした。私は2003年にウィーンで小澤さんの指揮の「フィガロの結婚」を見ましたが、あの時もやっぱり、粘りようなものを感じました。それがすこし歌手との間に隔たりが生まれていたような気もしました。印象的だったのが、全曲演奏が終わると、指揮台の周りの演奏者達一人一人と握手をして回っていたこと。ものすごく気を遣っていらっしゃるのが分かりました。

ああ、それから、2004年だったと思うのですが、小澤さん指揮の「ボエーム」を浜松まで行って見てきたことがありました。あのときのムゼッタはネトレプコでした! ムゼッタは二幕だけなので、もっと聴きたいと思いましたが。

また是非実演に触れてみたいです。

Opera,Richard Wagner

 

バイロイト「トリスタンとイゾルデ」観ました。すごいですね。もう、キャスト全員がすごくてあっけにとられていました。イレーネ・テオリンの「愛の死」は壮絶で、しばらくは忘れられそうにないです。

そして、この場ではこれまであまり触れていなかったトリスタンを歌ったロベルト・ディーン・スミスもすばらしかったです。正確無比なピッチにヘルデンテノール的純粋無垢な力強さ。そしてブランゲーネのミシェル・ブリートもすばらしい。テオリンに負けない声量とぶれないピッチ、そしてなにより表情や挙措の一つ一つに込められたそこはかとない意味性の表現は映像で観て初めて感じた偉大さです。クルヴェナールのユッカ・ラジライネンもよかったですよ。新国ではヴォータンを歌っていた方ですが、クルヴェナールの苦悩に満ちた役柄をうまく歌っておられました。

演出はやはり60年代的なものでしたでしょうか。いずれの幕も、蛍光灯をうまく使った演出でした。第一幕では丸い蛍光灯が天井で揺れ動き、第二幕では天井の照明がすべて蛍光灯で、スイッチをいれると「M」の字を描いたりする。おそらくはマルケ王のMです。第三幕はトリスタンの病室ですが、古びた壁に蛍光灯が掛けられていて、ジリジリと時々点滅したりする。

この偉大なパフォーマンスを舞台下で支えた最大の立役者がペーター・シュナイダー。私は、もうこの方のワーグナーとシュトラウスにべた惚れ状態です。まだまだ聴いていない音源はたくさんあると思いますが、それでも私はこの方と巡りあったことに感謝します。

今年1月の東京フィルの定期演奏会では半径10メートル以内だったのですねえ、この方と。舞台下最前列でシュナイダーさんの指揮を仰ぎ見ながら涙したのが懐かしいです。

私は、つい1ヶ月前までは、クライバーが振る「トリスタンとイゾルデ」が決定版だ、と思っていたのですが、このシュナイダー版の「トリスタンとイゾルデ」は、クライバー盤に負けず劣らずのすばらしい演奏だと言うことがわかりました。こういう体験がPCとネットを通してできるなんて、本当にいい時代になりました。今後の日本や世界がどうなるかは皆目見当がつきませんが、こうした思い出をもてる時代に生きているのは少なくとも幸せなことだと思います。平和ボケも困りますが、こうして感動を原動力に生きることも大事です。

演奏の模様は、8月26日にNRKラジオで放送予定です。Operacastの特設ページにて詳細をごらんになれます。

Operacastの特設ページから、キャストを以下の通り引用します。 

TRISTAN UND ISOLDE:

  • Conductor Peter Schneider
  • Production Christoph Marthaler
  • Costumes and stage design Anna Viebrock
  • Chorus director Eberhard Friedrich
  • Tristan Robert Dean Smith
  • König Marke Robert Holl
  • Isolde Iréne Theorin
  • Kurwenal Jukka Rasilainen
  • Melot Ralf Lukas
  • Brangäne Michelle Breedt
  • Junger Seemann Clemens Bieber
  • Ein Hirt Arnold Bezuyen
  • Ein Steuermann Martin Snell

Richard Wagner

 

8月910日のバイロイト音楽祭「トリスタンとイゾルデ」のオンデマンド放送を見ています。やっと時間がとれましたので。まずは第一幕の模様を見たのですが、マジですか! これはすばらしい! いやあ、音源だけを聴くのとは本当に違いまして、私はPCの前で鳥肌が立つほど感動しました。

イレーネ・テオリンのイゾルデ、最高です。鬼気迫る演技と強力な歌唱の相乗効果にひれ伏すしかありません。私は新国の「トゥーランドット」でもトゥーランドット姫を歌うイレーネ・テオリンさんを聴きましたが、なにげにトゥーランドット姫の出番は少ないですよね。しかしながら、イゾルデですので、もう第一幕からフルパワー状態で、私は本当に驚きました。それから、かなり強気なイゾルデでして、最後の最後まで全くぶれないです。それが、最終幕でああいう変化をするとは想像できない感じでした。

演出は、おそらくは60年代から70年代的な衣装。品よくまとめられています。

音楽的には、もうこの3週間ほどさんざん聴いていたのですが、ここまで劇と密着しているのだ、ということは映像を見てやっとわかった次第。シュナイダーさんの演奏は、おそらくは劇を影でしっかりと支えるような動きでして、劇の感動が、実は音楽によるものなのだ、ということを後になって気づく、といったような演奏です。

さて、明日は第二幕以降を見る予定です。

Opera,Richard Wagner

今年のバイロイトの「トリスタンとイゾルデ」は最高です。また昨日から今日にかけて聴いてしまいました。イレーネ・テオリンさん、すげー。早く来年の東京リングでテオリンさんのブリュンヒルデを聞きたいです。

そして皆様、8月26日にNRKのウェブラジオで聞くことができますよ。ぜひぜひ聴いてみてください。私ももう一度録音を試みる予定です。くわしくはOperacastの特設ページにて。

それからもうひとつ。23日まで、バイロイトの公式ページで、8月9日のトリスタンとイゾルデの公演の模様を見ることができます。14.90ユーロかかりますけれど。私は昨週末は聞くことができなかったのですが、今週末チャレンジできれば、と思っています。予定的に五分五分かも知れませんけれど。

Opera

昨夜は久しぶりに時間があったので、家人が録画しておいてくれたNHKの番組を観ました。この番組、どうやら世界中で活躍する日本人たちがテーマの番組のようです。私は今回初めてみました。 3月に放送した回の再放送だそうです。

主人公は、ウィーンの音楽大学でオペラ演出を勉強されている女性で、釣さん、とおっしゃる方。今31歳でいらっしゃるのですが、フルートで日本の音楽大学をご卒業されている方です。ドイツ留学を前に、演出の世界に飛び込まれたそうで、ベルリンで学んだ後に、ウィーンへいらっしゃって、勉強しておられる。アルバイトと研鑽をかねて、ウィーン国立歌劇場の裏方スタッフとしても働いておられる。すごいバイタリティーと意志力。経済状況もままならず、粗食で乗り切っておられる。そして、元気を出すために、ベートーヴェンやシューベルトの墓に詣でるという。

私も、このお墓に参るという気持ちは良くわかります。ワイマールに行ったときに、ワイマール王家の廟に行ったのですが、石造りの棺が並ぶ中に、木製の棺が二つあって、そこにはゲーテとシラーの名前が刻んでありまして、ああ、ゲーテもシラーも本当に実在していて、いままさにここで眠っているのだという強い実感を得たことがありまして、何かそこはかとない力を感じたのを覚えています。

番組冒頭に小澤征爾が現れたのもびっくり。お二人はお知り合いなんですねえ。

番組の後半で、卒業制作として、チェネレントラの演出製作を担当されるそうで、結構苦労しておられました。二元論的な意味を演出上表現するために、白と黒を使おうとするのですが、ホッファーとおっしゃる教授に、文化によって色の意味合いが変わるといったことを指摘されてしまったり。この担当教授がおっしゃった「芸術はきれいなだけじゃダメなんだ」という言葉が印象的。そうそう。耳障りの良い音楽が決していい音楽ではない。そこには真実在はないですから。モーツァルトだってあの時代にあって曲の中にとんでもない旋律を出してきたりしますからね。

きっと、研鑽を積まれて日本に帰っていらしたら、僕らもこの方の演出を見ることができるかもしれません。楽しみです。

ウィーンには3日ほど滞在したことがあるのですが、北ドイツとは違う柔らかい音のドイツ語が懐かしくて仕方がなかったです。なんだか、ドイツ語の方が英語より単語がよく聞こえますね。発音的にわかりやすい言葉だと思います。僕は昔ゲーテでドイツ語を習っておりましたが、10年前にやめてしまいました。まあ体力的時間的に無理だったわけですが。残念でした。ちなみに、青山のゲーテって、昔は東ドイツ大使館があったところらしいです。

今回はレポーターのSchauspielerさんにはあえて触れず、ということで……。

European Literature

 下巻まで読み終わりました。

下巻は、上巻とは打って変わって、ストーリーは単一。上巻の複層性とは対照的です。物語としてはややもすると予想された方向に収斂していきますが、さすがにベテランの作家さんだけあって、下敷きにしている情報量が素晴らしかったです。映画を見終わったあとのすがすがしい感覚。

フィクションとはいえ、ロシアの実情をある程度は反映していると思われますので、非常に勉強になります。ロシアの抱える闇は、そう単純なものではないようです。最近はそうした諦観を覚えるようになってきました。

上巻で、実業家の男が語った以下の文がちょっと気になりました。

わたしは馬齢をかさねて、悪というものは存在しうる、そして悪はしばしば一個人によって体現されうると言うことを信じるようになりました。

この一言は、ナチスドイツを指し示す文脈で用いられていまして、まあ、個人的には善悪二元論に追従するほど耄碌していないつもりですが、少なくとも状態としての悪は少なからず存在しているという強い直観は間違いのないことで、それから、それらが単に断罪できるほど単純ではないことも、自分のなかにも悪が巣くう可能性があるということも。油断せずに生き抜かねばならないです。個人でできることは限られていますが。

以下の「続き」は、読み終えたかたのみごらん下さい。ネタバレ的なものが書いてあります。

 

European Literature

 先日読んだ「ジャッカルの日」が滅法面白くて、ああ、僕はスパイ系小説とか、国際政治的小説が好きなんだなあ、と妙にフィット感を感じていまして、同じフォーサイスの手による「イコン」を読み始めました。

読み始めから、構造に少々戸惑いまして、非常に視点が多く、時代も1980年代と1990年代後半を行ったり来たりします。途中でそうしたこった構造にも慣れてきたのですが、上巻を読み終えたときに、こういった複数視点同時並行的な話しの進め方が当然ですが意図したものであり、その効果を十二分に発揮していることを感じました。

この本が書かれたのは1996年ですのでいまから13年前です。その当時にあって、というかその当時にあってこそかもしれませんが、ソ連崩壊後のロシアの混迷の未来史的考察には、少々無理があるものの、さもありなむ、と思わされます。このあたりは明日から読む下巻で明らかになってくることもあると思います。

なにより、崩壊前のソ連KGBと、アメリカCIA、イギリスSISといった諜報機関が繰り広げたスパイ戦争の舞台裏に触れられるのが何よりの刺激です。オルドリッチ・エイムズという実在のスパイが登場して、臨場感を感じますし、なによりソ連国内で拘束されたスパイがたどる苛烈な運命にも、ほんの20年ほど前の欧州でこんなことがあったのか、とショックを受けたり。そう言えば、私らが子供の頃は、ソ連のミサイルがいつ飛んでくるか、と毎日が不安だったこともありました。ソ連が崩壊して、やっと核戦争の恐怖から解放された、と思ったのですが、今は以前より増して核攻撃の危険があるようではありますが。

今日は、ケンペの「アルプス交響曲」を聴きました。カラヤン盤のような音質には恵まれていませんが、まとまりがあって統率のとれた演奏でした。また明日も聴こうと思います。私は、何度も何度も同じ音源を聞かないと、なかなか語り出せないようです。

そういえば、最近いろいろ本を読んだりして思うのは、私らの歳になると、海軍では、もう小さい艦の艦長ぐらいにはなる頃合いですよねえ。まあ艦長は会社で言えば管理職だと思いますが。8月に入って、とりわけNHKで第二次大戦関連のドキュメンタリーが多く放映されていまして、今も昔も組織はかわらんなあ、と思ったり。軍隊も会社も組織という観点から見れば非常に似通っております。そういえば、私らが小さい頃の雑誌プレジデントは、毎月のように軍人特集でしたねえ……。

European Literature

Podのない生活一日目。今日は、ショルティの「マイスタージンガー」をCDウォークマンで聴いております。なんだか、6年前に戻った感じ。iPodを買ってからもう6年ですか。160GBないと私は生きていけないです。この閉塞感、不自由感はいったい、という感じです。時間の遡行が難しい世の中です。

さて、ディック・フランシス「本命」を読みました。お恥ずかしいことに、ディック・フランシスものは読むのが始めて。これも高校生の頃に読んでおきたかったです。

主人公アラン・ヨークはローデシア生まれの実業家の跡取りだが、アマチュアで競馬レースに出場する騎手でもある。ある日、アドミラルという英国一とも言われるサラブレッドに乗った朋友のビル・デヴィッドソンが障害物で落馬し命を落とす。アランはそのとき障害物上に張られた針金に気づく。これは事故ではない、と確信したアランは調査を開始するのだが、レースの行く末を操作する八百長が行われているのがわかる。どうやら、ビルは八百長(本の中では「押さえる」という言葉)を断ったため、落馬させれらたのだった。アランも警告と称する暴力沙汰に巻き込まれ身の危険を感じる。馬主の一人で美しい令嬢のケイトとの出会いが、事態を思わぬ方向へ導いていく。

犯人探しは、簡単でしたが、描かれた物量の充実度がすばらしいです。フランシスは実際にレースにも出場したアマチュア騎手ということもあって、レースや騎手の控え室の描写がすばらしいです。ウィキでは「本命」が最初の作とありますが、本にはシリーズ第三弾と書いてありました。どうやら訳出の順番が違うようです。

Miscellaneous

 またiPod壊れました……。

13日の木曜日頃だったと思うのですが、バスの中で、揺れた途端にiPodを落としちまいました。まあ、大丈夫か、と思っていたのですが、今日になって、ハイティンクのワルキューレが再生できなくなり、おかしいなあ、と思って、復元→同期、と試したところ、エラーで同期できなくなり、音楽再生もできなくなっちまいました。ああ、またですか……。間違いなくハードディスクの損壊です。今回は、透明なアクリルのケースに入れていたのですが、衝撃に耐えられなかったらしいです。ショックでかいです。

さらに悪いことに、オンラインで修理しようとしたら、サポートページが凍り付いて、サポートに電話したら、システムメンテナンスですって。困りました。

Climbing

8月8日の16時半に、僕らは富士山の富士宮口五合目に集合しました。今年は、屈強な船乗りと、アスリート二名、サラリーマンの私、の計四名で富士山頂へアタックです。 船乗りの友人A君は、すでに富士山登頂8回のベテランで、今年も7月に一人で頂上まで登った男。アスリートの友人B君は、富士吉田市から富士山頂までを往復する富士登山競争に何度も出場し、フルマラソンを難なくこなすアスリート。アスリートのC君は、A君の弟で、中距離ランナー。C君は「体力には自信がありますが、気圧の変化には弱いのですよ」とおっしゃる。凄いです。こんな猛者達の中にあって、私は少々気が引けましたが、気合いだけを頼りに登ることにしたわけです。

集合の後、まずは六合目まで十数分ほど登り、山小屋に到着。ここで食事を取って、一晩泊まりました。夕方は宝永火口近辺を散策して足慣らし。

天気が思いの外よくてすがすがしい。聞こえる文明の音は航空機の音だけ。しかも標高が高いので、飛行機の見た目のスピードがとても速いのです。影富士も見られました。食事はカレーライス。他の方々は、さらに一品ボリュームある食事を取っておられました。みなさま本当に凄いです。

夜は晴れ渡っていて下界の夜景が美しくて、御前崎方面から、沼津、三島、熱海あたりまでよく見えました。熱海の花火大会も眺められました。夜になっても、登山客の列は途絶えることはありません。山頂に向かう登山道は、夜間登山をする方々のライトが連なっていて、それはそれは幻想的。 私は、20時過ぎに早々に寝室に退散。寝室では布団一枚に二人が眠るぎゅうぎゅうずめでして、部屋に入った時点でもう何十人もの方々が寝ておられる。おそらくは夜中に出発して頂上でご来光を眺めようとする方々だと思います。

布団が硬く、足も伸ばせない狭い場所で眠りましたが、起床予定の5時ぴったりに目が覚めます。私は、よくこういうことがあるのですよ。目覚ましなしにぴったりと時間通り起きるという恐ろしい状況。我々以外で眠っている人はもういませんでした。

空はずいぶんと明るくなりまして、5時半頃には、宝永火口の向こう側、雲にかすんだ太陽が昇りました。太陽の周りには虹が円環を形作っていました。

 

さて、6時に六合目の山小屋を出発。ただひたすら登るのみ。 富士宮口は下山客が渋滞をしていて、人だらけといった様相。皆さん山頂でご来光を眺めたのでしょう。人が多すぎたので、八合目で富士宮口ルートから御殿場口ルートへトラバース。そこから先が厳しい。ふくらはぎに鈍い痛みが居座り続けます。もう速度あげられない状態。船乗りA君と、アスリートB君は、涼しい顔をしています。ただ、気圧に弱いC君はちょっと厳しそう。頭が痛いそうで、高山病でしょうか。

そのうちに、C君が厳しい状態で、酸素を何度か吸って、立ち止まる状態。これは厳しいか、と思ったのですが、C君が突如スピードを上げて登り始めました。早く登った方が調子がよさそうなのです。あれよあれよと言う間に、我々を引き離して行きました。私はもうこれ以上速度を上げることがあたわず、鈍重な感じで登るしかない。酸素が少ないからだと思いますが、これまでに経験したことのないけだるい疲れ。ほとんど記憶なし。ただ、登山の時にいつも感じる山と一体になったような感覚でして、登るという行為しかそこにはない。主客未分の西田幾多郎的純粋経験でした。

やっとの思いで山頂に到着しましたが、山頂外輪山はガスの中で景色など見ることはできず。強い風に晒され、寒さは尋常ではありません。写真を撮って、山頂の浅間神社に参拝、郵便局で暑中見舞いをだしますが、寒すぎて動きも緩慢になります。そこから、富士山測候所跡のある剣が峰までさらに登りを。馬の背と呼ばれる急な上り坂を、寒さをこらえながら登り続けますが、勾配が厳しく、ずるずると滑る感じ。ストックを付きながらやっとの思いで剣が峰に到着。標高3776メートルに到達です。そこに自分がいるのが信じられないぐらいでした。持って行ったGPSも、誤差二メートルぐらいで、記念に写真を撮りました。

 

下りは下りでまた大変でした。富士宮ルートから下山を始めたのですが、勾配のきつい岩場を降るわけでして、膝にかかる負担は相当なもの。しかも、気圧が低いので息切れが収まらない感じでした。下ること三時間ぐらいで、ようやく六合目の山小屋に帰還しました。リュックザックをおろすと、腰のあたりが汗でびしょ濡れ状態。こんなに汗をかいていたとは思いも寄りませんでした。

とりあえず山小屋でざるそばを食べましたが、他のメンバーは、定食を食べていました。凄い食欲。 というわけで、我々は、事故もなく無事に下山することができました。ですが、やっぱり山は怖くて、滑落したり、高山病で動けなくなったりした人もいたそうです。

家に帰り着くとへとへとでして、食事をとると、なぜか口の中がひりひりとあれていました。おそらくはビタミン不足だ思います。私にとっては相当厳しい運動だったようです。今回は減量にも失敗してしまいました辛かったというところでしょうか。もう少し体を鍛えないとダメみたいです。

というわけで。プロジェクトは無事終了です。体を鍛えようと言うことで、今日から早速ジムに通い始めました。がんばりましょう。