Tsuji Kunio

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先日、お世話になった方を囲む会に伺う機会を得ました。60年代から一貫して一つのことに打ち込んで来られた方で、私は大学時代の四年間にその方にお世話になりながら過ごしたのでした。その囲む会では、私も含めて、その方にこれまでお世話になった方が何人もいらしていて、60年代からこれまでに至るその方にまつわる思い出が、幾重にも重なるように語られました。安保闘争の時代から、バブル期、そして失われた20年。それは半世紀の歴史を振り返るようにも思えるものでした。私もおそらくは大学時代からの四半世紀を振り返ることになりました。

歳を重ねるにつれ、時間の感覚が異なることは、若い頃には全く予想しないことでした。それは、何か伝聞として知らされて入られたのかもしれませんが、身体的感覚の中で、時間が早まることを感じることは、予想を超えるものだったと思います。自分の生きて来た時間を分母にして、実時間を分子にすると、時間の長さの感覚が計算できるわけで、その波形は反比例式です。ご存知のように、反比例式のグラフは、当初乗算的な傾きを描きますが、その後その傾きは緩やかになります。おそらくは、その乗算的な傾きのピークが20代後半なのだと思います。その後は、傾きは緩やかになります。確かに、30代を過ぎると、時間が早く感じる、ということ自体に慣れて、驚くこともなくなりました。

ついこの間までは、そうした時間の感覚は今後あまり変わることはないだろう、と思っていたのです。ですが、先日の囲む会で、いらした方が縦横無尽に半世紀の記憶を操るのを見て、時間の感覚というものがまた別の様相を生み出すのではないか、と思ったのです。おそらくは、昔という感覚が徐々になくなってくるはず。あるいは、過去になればなるほど意味が濃くなって行くのでは、という感覚。なぜなら、過去になればなるほど反芻するから。これ、年配の方にとっては常識な感覚なのかもしれませんが、先に触れたように、時間が早くなる感覚を実際に体験しないと理解できないように、過去の意味の濃度が高まるということも体験しないとわからないはずです。私は徐々に体験し始めているようにも思いますが、それが本当にそうなのかはまだわかりません。ですが、おそらく、記憶の中を自由に遊ぶように行ったり来たりすることができるようになるのではないか、と想像しています。

私たちの主観が記憶の中で過去へ自由自在に行けるようになるということは、記憶全体のいずれもが現在となりうるわけで、そうだとすると、自分の記憶全体を未来とも過去ともいうことができるわけです。そうした記憶の総体を世界だとすると、我々は世界を縦横無尽に駆け巡ることができるのだ、と思います。ここにいる今の私が記憶の最新=最終末だとすれば、それこそが、全てを把握し語りうる主体である、ということ。何か、歳を重ねれば重ね、記憶を積み重ねれば重ねるほど、世界の見え方がこれまでとは変わるのではないか、と思ったりします。こればかりは自分で体験して見ないと、と思います。どのような世界が待っているのか。しぶとく生きて見届けるなければと思うのです。
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辻邦生の「小説への序章」です。トーマス・マンが「魔の山」で物語の時制は過去時制である、と書いていたことを踏まえてこのようなことを書いています。

あらゆる事象を過去的なものとなし、未来まで過去に属せしめる主体とは、あらゆる未来に先駆けて未来である主体、つまり最終末に立つ主体に他ならない。このような主体を物語的主体といいうるとすれば、物語的主体の生まれる深奥には、この時間の反転が何らかの形において行われなければならないはずだ。

最終末だからこそできることがあるということ。最終末で未来も過去となるとあります。最終末=今ここがあらゆることの中心となるということが、記憶の中を縦横無尽に飛び回ることができるということにも繋がるはずです。良い意味で、記憶に生きながら、次の新しい記憶を作っていくことがアセットになるということに繋がります。繰り返しになりますが、しぶとく生きて、新しい記憶を作るということに徹する、ということなんだと思います。

何ということを書きながら、9月も半ばを過ぎてしまいました。台風が近づいています。みなさま、どうかお気をつけて。お休みなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

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辻邦生のミニ展示で、「JOURNAL」と題された自筆の日記を読むのが毎年楽しみです。ブルーブラックの中太ぐらいの万年筆で縦書きで緻密に書かれた日記には、本当に興味深いことが書かれています。

今回は、私の記憶では、確か「内容」と「様態」を小説でどう取り扱うか、と言うテーマが書かれているページだったと記憶しています。

小説家は「内容」は書いてはいけない。「様態」を書かなければならない。そう言うテーマだったはずです。何かを表現しようとした時、それをそのまま文章で書いてしまうことを、おそらくは「内容」と言っているはず。対して、「様態」とは、何かの様子を描写することで、「内容」を表現する。そう言う風に理解しました。

例えば、「疲れ切ったサラリーマンが、何人も座席で寝ている」と言うのが「内容」だとすれば、「20時。通勤列車のロングシートに座る白いシャツを着た男たちは、一様に目を閉じて列車に揺られている。列車が動きに合わせて、男たちの身体が一斉に動く。まるで、眠れる兵士が隊列を組むように」みたいな、情景の描写が、「様態」なんですかね、なんてことを思います。

いずれにせよ、直接的な表現に甘えてはならず、描写によって事物を表現せよ、と言うことなのだと理解しました。

おそらくは、そう言うテーマが「小説への序章」にあったはず。展示されていた日記は、「夏の砦」を書くために山へ向かうシーンが描かれていた部分です。「夏の砦」成立と同時期に「小説の序章」がかかれていますので。このあと確認して見ます。

今日も東京地方は雨。夏はどこへ言ったのか。また来週から夏が戻りますが、すでに「残暑」と呼ばれる季節になってしまいました。日の出の時間もどんどん早くなります。東京ですと、残念ながら朝5時を回ってしまった、と言う悲しみ。毎朝5時に起きていますので、暗い中起きる季節がまた巡って来てしまいました。早く、夏至にならないかなあ、と思います。心の底から!

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

受験のために、東京へ向かったのが1992年のこと。宿泊は格安プランの品川プリンスホテルでした。プリンスホテルとはいえ、古い部屋で、窓も小さく、だから格安プランなんだ、と納得した記憶があります

その東京へ行くにあたっては、中公文庫の辻邦生全短篇を1冊持って行きました。「洪水の終わり」を新幹線ホームで列車を持ちながら読んだ記憶があります。

それはそうと、その品川プリンスホテルの中に入っていた小さな書店で、辻邦生の本を見つけたわけです。「霧の聖マリ」でした。ある生涯の七つの場所が中公文庫から刊行されましたが、その最初の一冊でした。その頃は、まだ辻邦生という作家のことをまだよくわかっていなかったわけですが、そうであったとしても、ここで出会ったのも縁だと思い、購入したんだと思います。

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それで、あとがきを見て驚いたのでした。辻邦生によるあとがきの最後は「高輪にて」と締めくくられていたのでした。品川プリンスホテルは高輪に面しています。そうか、ここで辻邦生の本を買ったということは、本当にすごい縁なのだ、と勝手ながら思ったものです。

辻邦生のマンションは高輪にあったというのは有名な話。逝去をつたえる新聞記事にもご住所が掲載されました。部屋は二つお持ちだったのではないでしょうか。一つは生活される部屋。もう一つは仕事部屋。エッセイの中で、夕暮れをマンションから見ていたら、変人扱いをされた、というような話も載っていたかと思います。

私は、辻邦生がなくなった1999年の後、そのマンションまで五反田駅から歩いて見たことがあります。その道は、「銀杏散りやまず」の冒頭で描かれたあの通り道だったはずです。その通り道にあった古書店で、シュティフターの「ヴィティコ」という本を見つけて書った記憶があります。

この話、以前も書いたかどうか、忘れてしまいました。

それ以外にも辻邦生と個人的な縁を感じることがいくつか会ったように記憶しています。折があれば書いてみようと思います。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

この週末、本棚を眺めていました。なぜか美術系の本が並んでいる棚に、こちらが入っているのを見つけました。

私が初めて読んだ辻邦生の活字は、この本に印刷されていた「樂興の時 十二章」『桃』だったのです。

手に取ったのは夏の暑い日、当時住んでいた高槻の街から京都へ向かう快速電車の中だったと記憶しています。まだ湘南色を身にまとった快速電車でした。

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この小説を読んで、辻邦生ってすごいなあ、と思ったのでした。その後新潮文庫版の「見知らぬ町にて」を古本で購入し、辻邦生文学へと進む毎日が始まったのでした。

昨日、改めて読み返しました。

本編のストーリもさることながら、ゴシックで書かれた別の物語に興味を覚えました。子供たちが夏の森の中を進んで、牧神に出会い、一緒に踊り、さらに進んで海辺へいたり、主人公の老人の物語と同一し、薔薇色の海の中へと、泳いでいく、という物語です。おそらくは老人が見ている夢です。

この物語は、アルカディアのイメージです。私はこちらの絵を思い出しました。国立西洋美術館にある「踊るサテュロスとニンフのいる風景」。子供たちとサテュロスが踊る理想郷を描いた絵です。私はこの絵が本当に大好きで、数年おきに上野に行きたくなります。踊るサテュロスやニンフたちの姿はもちろん、その向こう側に広がる風景や大気の様子が素晴らしく、上野にいくたびにずっと眺めていて、いつか吸い込まれてしまうのではないか、と思ってしまいます。

おそらく、主人公の老人も、夢の中でこういう風景を見ながら、薔薇色の海に入って行き、息を引き取ったのでしょう。

ある意味、満たされた死。これが、加賀乙彦先生がおっしゃっていた「死を描きながらも明るい小説という不思議」「膨らみ、明るくなり、黄金色に輝く世界」がここにあるのだ、と思いました。

しかし、考えることの多い作品だなあ、と思います。老人の住む世界と、老人の妻あるいは老人の娘の住む世界の相違、という問題。この世界の相違というのは、本当に問題です。

それにしても、高校時代に読んで、この小説に感動するというのも、今から思うとどうかと思います。当時から、何か世の中の儚さのようなものを勝手に想像していたようです。今では、それが現実になっている気がします。

昔書いたこちらも。

https://museum.projectmnh.com/2006/11/10203036.php

どうも暑くなったり涼しくなったり、という東京の気候です。体調を崩してしまいそうです。みなさまもどうかお気をつけてお過ごしください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

今年も園生忌が参りました。一年が経つの早いものです。
写真 1 - 2016-07-29
先日の講演会のあと、色々と考えました。暗い窖にどんどんずり落ちて行く感覚を感じていた今日この頃でした。そうしたなかで、全てを放擲してしまうのか、それとも、ずり落ちないように、精神の屹立を目指すのか。(私の言葉ですが)精神の屹立を成し遂げるために、辻邦生が美を追求したのでしょう。美こそ、人間らしく生きることを保証する最後の防波堤、最後の砦なのではなかったか、と。死を包み込むような美があるからこそ、加賀乙彦先生は「不思議な小説」とおっしゃったのではないか、と想像しています。
そういえば、高校時代、辻邦生を読み始めた時、「あ、これは死の小説だ」と思ったのでした。当時読んでいたのは、いわゆる「西欧の光の下で」という名前で括られる短編群でした。中公文庫で「辻邦生全短篇」という名前で2冊出ているものです。

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私は、友人に「辻邦生の小説には、死があるのだ」と語った記憶があります。確かに、「洪水の終わり」「風越峠にて」「空の王座」など、すべて死に彩られています。しかし、そこには陰惨なものはなく、ただ精神を高めながらも、その半ばにおいて、その精神の高さが故に死へとつながってしまう、というような、高みへ向かう死のようなものがあったように思うのです。これは、もちろん、短篇だけではなく、「安土往還記」「夏の砦」「背教者ユリアヌス」という長編軍においても同じだと思います。

なにか、この死をも包み込んでしまうような、何か、加賀乙彦先生が「不思議」とおっしゃったもの、それが辻邦生の一つの本質なのではないか、とも思います。

もちろん、死は単なる偶然の結果であり、死を目指すものではないということはいうまでもありません。何か、燃え尽きるような感覚、まるでイカロスが太陽に触れてその翼を失うような感覚、そういう感じを持っています。

私は、辻文学以外の文学小説をあまり読むことができません。村上春樹はいくらか読みますが、それ以外は実のところ読むのが難しく思います。どうも、この「不思議」な世界に足を踏み入れているから、なのかも、と思います。

しかし、当時の訃報の新聞記事。小説家の訃報としては非常に大きく取り上げられているなあ、と改めて思います。とにかく、18年前の夏の、なんともいえない悲しみ、悔やむような気持ちが思い出されました。

それではみなさま、どうか良い週末を。おやすみなさい。

Tsuji Kunio

作家の加賀乙彦先生の公式ブログに「フランス留学時代の辻邦生」という文章が掲載されていました。

https://ameblo.jp/asamayama-taro/entry-12261296070.html

先日の講演会の序盤において、辻邦生との出会いについて加賀先生が話しておられましたが、そのお話の内容と同じものが書かれているように思います。昨年末パリで開かれた「辻邦生 - パリの隠者」展の冊子にフランス語で掲載されたもののようです。

実は、明日まで少し早めの夏休み。先週末土曜日に辻邦生展に参ったことで、何か別世界に来てしまったような気がします。明後日からまた社会復帰ですけれど。

それではみなさま、おやすみなさい。

Tsuji Kunio

今年も夏が参りました。

私のなかではすでに夏の風物詩となっていますが、学習院大学史料館で開催されているミニ展示と、辻邦生がパリ留学中に交流した加賀乙彦氏による講演「辻邦生の出発─『夏の砦』」に行って参りました。

家の仕事が忙しく、直前ギリギリで会場に到着してしまい、講演会の直前ということもあって、ミニ展示は大混雑でした。残念ながら、きちんと見ることはできず、ざっと見るだけではありましたが、太い万年筆で書かれた自筆原稿を見ることができて本当に幸せでした。

小説家の加賀乙彦先生の講演会「辻邦生の出発──『夏の砦』」は、前半は辻邦生と加賀乙彦先生の最初の出会いのシーンから、辻邦生のパリの生活、加賀乙彦先生が小説を書いたきっかけなどが語られ、後半は、夏の砦を加賀乙彦が改題する、という内容でした。

驚いた事に、加賀乙彦先生は、当初全く小説を志しておらず、辻邦生の影響で小説を書き始めた、とのこと。勝手な想像で、医師ということから、北杜夫のように前から知り合いで、ということを想定していたのですが、どうもそうではなく、本当に偶然にパリへの留学の船旅で乗り合わせ、嵐の日に甲板で偶然出会った、という奇跡的な出会いだったということでした。もし、辻邦生と加賀先生が出会わなければ、おそらくは加賀乙彦という小説家は存在しなかったという事になるのかもしれません。

また、辻邦生の小説家になるという自負が強烈だったということも、初めて知った気がします。友人の加賀さんだから言えることなのかもしれません。例えば、世界一の天才だ、などという趣旨のことを辻邦生は言っていたようです。実際に、辻邦生は天才ですし、そうでなかったとしても、それを公言するぐらい強くなければ小説家にはなれない、ということなのだと理解しました。

後半、「夏の砦」を加賀乙彦先生が解説されたのですが、加賀乙彦先生は、「夏の砦」こそが辻文学の最高傑作であると言っておられ、「死を描きながらも明るい小説という不思議」、「膨らみ、明るくなり、黄金色に輝く世界」などと言っておられたました。本当にその通り。数々の死に彩られながらも、なぜか、ポジティブな小説だった、という読後感で終わるのです。それが辻邦生の不思議さであり、価値であり、魅力である、ということなのだと理解しています。

個人的には、「夏の砦」は3回ほど読み、先日Kindle版を入手し、また読もうと思いましたが、加賀先生のお話で、読むための視点のようなものを発見しました。歳を重ねると、かつてとは違う読みかたをしてしまうようになり、それは何か辻文学の輝きがあまりにも強く眩しく、何か足踏みをしてしまうような気がしていたのです。しかし、視点を得たことで、いま世界に感じている問題に繋がるような何かアクチュアルな読み方を発見できるのではないか、とも思っています。その視点は今は描きませんが、おそらくはこの後「夏の砦」を読んで、振り返る事になりそうです。

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それにしても、加賀先生は88歳だというのに、矍鑠としてきちんと話をしておられ、たまにユーモアを交えながら、会場を温め、会場を見ながら緩急をつけて話をしていて、加賀先生も本当にすごい、と感嘆しました。

会場もかなりの人数の方々が来訪されていました。無料なので、コストは大丈夫なのか、と心配になりましたが、資料館のアナウンスによれば、寄付などで運営しているとのこと。やはり今でも、辻邦生は、様々な立場の多くの人々に愛され続けているのだなあ、と思いました。

講演会の後、辻ファンの方々とお茶をしてお話を。辻文学を語る機会はあまりなく、本当に勉強になるひとときでした。

書ききれたのかわかりませんが、まずは速報として。

暑熱が続きます。どうか皆様もお体にお気をつけてお過ごしください。おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio


先日、学習院大学史料館から案内状が届きました。写真は1959年ごろとのこと。終戦から14年。今から14年前は2003年。2003年に戦争が終わって、今ごろパリにいる、という時代感覚かなあ、と。

今日は短く。おやすみなさい。

Tsuji Kunio

辻邦生の「春の戴冠」をKindleで読んでいます。

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この長編小説は、大学を出てから読んだ気がします。20年ほど前。以降、3回ほど読んだ記憶があります。

初めて読んだときは、恐らくは物語の楽しみを味わうことに終始した気がします。フィレンツェの国際政治の乗り切り方を手に汗握る思いで読んだ記憶があります。

2回目は、恐らくは哲学的な観点で読んだはず。プラトンアカデミアで語られるプラトニズムから、美とは何か、分有という言葉をキーワードに読んだ記憶があります。恐らくは2004年ごろのことかと。

3回目はその数年後に読んだと思うのですが、何か晦渋さを感じながら読んだ記憶があります。もっとも、あのシモネッタとジュリアーノが恋に落ちる仮面舞踏会のシーンに感動したり、最後の場面の少年たちの狂騒に文化大革命の紅衛兵を感じたり、そういった発見もありました。

その後、昨年だったか、「春の戴冠」をKindleで入手し、読み始めたのですが、なかなか進みません。何故なのかなあ、ということを考えると、何か遠いところに来てしまった、という思いが強くあり、入って行けなくなってしまった、ということなのかもしれません。美しい描写も、その文章の上をうわ滑ってしまうようなそういう感じです。昨日も書いたことですが、あまりに違う世界にいますし、時代も大きく変わりました。

辻邦生の生きた時代が過ぎ去っていくことを感じたのは、「夏の光満ちて」を読んでいた時のことでした。辻邦生がパリへ向かう飛行機がエールフランスのボーイング727だったという記述があったはずで、それを読んだ時に、ああ、本当に違う時代のことなんだ、と体感したのでした。ボーイング727は30年前に活躍した旅客機で、日本で見ることはできません。なにか、時代の隔絶を感じたのです。それは、江戸と明治の差かもしれないし、戦前と戦後の違いなのかもしれないと思うのです。

なにか、手の届かないところへと遠ざかっていく感覚は、昨日触れた、高層ビルから眼下を眺めるということとも言えます。

それで、昨日、この「春の戴冠」をKindleで読みましたが、ちょうど出てきたのが、<暗い窖>という言葉でした。

それは自分の立っている場所がずり落ちてゆき 、いわば 〈暗い窖 〉のなかに陥るような不安をたえず感じざるを得ない人たちです。(中略)生きることに一応は意味も感じ 、努力もするが 、心の底に忍びこんだ 〈失墜感 〉をどうしても拭いきれない。

この失墜する感覚に対して、全てに神的なものが分有されていることを認識することで、その迷妄を断ち切る、というのが、フィチーノがその場に結論なのですが、どうなのか。結末のサヴォナローラを知っているだけに、複雑な思いです。

何度か書いたことがあるのかもしれませんが、文学は人生論ではないとは思いますが、やはり時代という背景の中で書かれ読まれる文学には、文脈に応じた意味が付与されることになります。窖という言葉は、そうした時代や、あるいは人間の一生の中で感じる何かしらの失墜感を表すものではないか。どうしようもなく、抗うことのできないものの象徴なのではないか。

初めて「春の戴冠」を読んで20年で、何かそういう思いにとらわれています。逆にいうと、この「窖」の答えもまた「春の戴冠」の中に隠されているはず、とも思います。

台風が東京地方に迫っております。どうかみなさまお気をつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

今年の目白参りの季節まであと4ヶ月。早いものです。
学習院大学史料館の講演や展示会のお知らせがTwitterで掲示されていました。

講演

2017年7月22日14時 学習院大学創立百周年記念会館
加賀乙彦氏による講演「辻邦生の出発──『夏の砦』」

展示

7月18日(火)から8月11日(金・祝) 学習院大学史料館
永遠の光─辻邦生「夏の砦」を書いた頃

今年もまた行かないと。講演の日はきっと展示会は混むと思いますので、別の日の静かな夏の午後にでも行きたいなあ、と思っています。

今日は取り急ぎです。きょうは振替休日。あすからまた仕事場へ。
それでは、みなさまおやすみなさい。