Classical

やっとの思いで週末なのですが、昨日から急に入った仕事に忙殺されてしまい、少々寝坊。いつも4時までには起きるようにしていたのですが、この二、三日は5時に起きるのがやっとです。気合いが足りませんね。

ともかく、急に降って湧いた仕事は、数年後に訪れる会社のビックプロジェクトのためなのですが、ポイントは、いかにしてそうしたストレスのかかる仕事を楽しめるか、という点なのですが、経験上、そうした仕事にある意味必要以上に関わって、旗振り役から旗を奪うというのが効果的ですね。というわけで、一瞬旗を奪ってうごいてみると、やっぱりそうそうストレスを感じないから驚きですね。

格言「人生のあらゆる仕事は、能動的に関われば関わるほどが愉しみ増すのである(ショーペンハウアー←ウソ)」。

ただし、来週からはかなり忙しくなるので、ちょいと不安。まあ、いつものように時間が経てば勝手に終わっているのでしょうけれど。

朝からブラームスの4番を聴いています。チェリビダッケが振っているのですが、冒頭から重くて厚みのある演奏とはいえ、テンポはそんなに遅くない。チェリビダッケのテンポの遅さは有名ですが、ブラームスの4番に関して言えば中庸より少し遅いかな、というぐらいです。それにもまして、オケの厚みが凄い。テンポ云々よりそちらを語るべきなのでしょう。ブラームスの4番は、小さい頃の初めてのブラームス体験だったのですが、1番や3番に比べるとあまり好みではないらしくて、この数年間聴いていませんでしたので、本当に久しぶりのブラ4です。最終楽章の哀切なパッサカリアに心を打たれるのはいつものことでして、やっぱりブラームスが好きなんだなあ、と改めて思った次第。

Classical

今週末のNHKBS2のクラシックロイヤルシートは、ベルリンフィルのヴァルトビューネですね。指揮はサイモン・ラトル。曲目は「ラプソディ」がテーマの曲たちです。くわしくはこちら

一度で良いから、ヴァルトビューネに行ってみたいのですが、そうそう行けるものではありません。テレビで愉しむのが関の山、です。

Classical

今日は雨が降ると言われていた関東地方でしたが、少し路面が濡れていたので雨は降ったようですが、帰り道は傘を差すこともなく帰宅できました。明日は雨が酷いようですが。

会社への道すがら、山を見るのですが、冬には茶色い空虚な枯れ枝に覆われていた山々も、若葉が吹き出しはじめると途端に彩りが鮮やかになりますね。これを「山が笑う」というのだ、と中学生の頃に習いましたが、まさにそんな感じ。

仕事はと言えば、朝から夕方まで会議づくしで大変でした。前にも書きましたが、会議は出ているだけで仕事をしている気になってしまうわけで、できれば出たくはないのですが、それが会社勤めというものなんでしょうね。せめて有意義な会議になるように誘導していくのも仕事のうちなのかもしれません。

と言うわけで、少々気疲れもあって、帰宅時の選曲はヴォーン・ウィリアムズの交響曲第五番です。以前にも取上げたことがあると思いますが、実に心休まる音楽なのです。第一楽章の終盤に現れるコラール風の旋律とか、第三楽章の弦楽器が優美な旋律に慰められます。ヴォーン・ウィリアムズは映画音楽も手がけているのですが、第五番はまさに色彩的、映像的な楽曲で、いろいろな情景が目に浮かびますね。そうですねえ、断崖に立てられた小屋が霧に巻かれていて、中から長靴を履いた老人が現れて、小屋の脇に積み上げてある薪を抱えて、また小屋の中に入っていく、みたいな情景。ステレオタイプですが。

ボールトの指揮はそういう情景を押しつけがましくなく伝えてくれます。ともかく、言い音楽を書きますね、ヴォーン・ウィリアムズという方は。この一年間で大好きになった作曲家の一人です。

Classical

非常に心地の良い暖かい一日でした。午後は曇ったものの、風の匂いにはもう五月のそれが混ざっていました。月日が経つのが早いことは重々承知しているのですが、ついこの間まで、清少納言よろしく朝の冷気に感じ入っていたのになあ、と思います。

そんなわけでもう四月も終った気分になっていますが、訳あってローマ史の本を読み始めました。藤沢道郎さんが訳された「ローマの歴史」です。裏表紙には辻邦生先生の賛嘆の辞が書いてあって、驚くのですが。ローマ帝国ものと言えば、古くはローマ帝国衰亡史とか、最近では塩野七生さんのローマ人の物語などが有名ですが、まずはコンパクトな文庫一冊ものから、という具合です。ローマ史は世界史で習っただけで、その知識も既に失われつつありますので、なかなか新鮮な感じで読んでいます。すすみが遅いのが難点ですが。

と言うわけで、ローマつながりということで、レスピーギのローマ三部作をデュトワの指揮で。快活に演奏するのかな、とおもったら、意外とタメのある重量感のある演奏で想定外でした。結構テンポを抑えめで、オケに乱れが生じるところもあるのですが、それはご愛敬ですね。個人的には「ローマの祭り」の第一曲目「チェルチェンセス」が好きです。描かれているのは、迫害されるキリスト教徒が猛獣に悔い殺される場面。緊迫感をあおるオーケストレーションが大好きです。

Classical,Gustav Mahler

いよいよ週末が訪れました。この一週間は忙しくて息をつく暇もなかったです(言い過ぎですが……)。おかげで時間が経つのがとても早く感じます。あっという間に「魔弾の射手」まで残り一日となりました。今晩はゆっくり休んで明日に備えようと思います。

とはいえ、今日もいつものカフェで仕事をしようと思ってきているのですが、気圧が下がっているせいか(?)り、ちと、はかどりが悪い。こんな時は音楽を聴いてやる気を高めたいものです。

普通なら、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」などを聴いて自らを鼓舞するところですが、昨日何の気もなく選んでしまったシノポリ先生のマーラーを聴いています。交響曲第9番です。

シノポリのマーラー全集を買ったのは、亡くなった直後ぐらいで、私もまだ自由にお金が使える頃だったこともあって大人買いをしたのでした。何曲か聴いたのですが、あとでも触れますが、すこしリズムに難ありだな、という印象を持ってしまってあまり聴いていませんでした。

シノポリの演奏、まず録音がわりと良いんですよ。ダイナミックレンジもしっかり確保されているし、一音一音が良く聞こえます。もちろんシノポリ先生の棒に因るところが大きいとも言えますが。リズムの粒状感もしっかりしていて、あまり乱れを感じるようなこともないです。昔聴いたときは、リズムが甘いなあ、と思ったこともあったのですが、今のところそういう感想を持つことはないです。

第二楽章の三拍子なんて、本当にメカニカルに刻んでいますね。僕はこういう演奏が好きな方ではあるのですが、ここは評価が分かれるところでしょうか。それにしても譜面が頭に浮かんでくる(これも言い過ぎ)ような演奏で、シノポリ先生がここで表現している美意識は建築的なものではないか、と思えます。もちろん、オケの方々の技量も並々ならぬものがあると思います。聴いて損はない演奏です。

大好きな第四楽章に至ると、今度は厚みのある弦楽器群が出迎えてくれます。良いですね。この感じ。哀切で慎み深い色調に覆われています。

僕もこのタイミングで聴くことができて本当にラッキーです。「名盤はCDラックの奥に眠っている」という格言(?)は本当です。

シノポリ先生には、プッチーニ作品(マノン・レスコー)、シュトラウス作品(影のない女、エレクトラ)などでお世話になっていますが、マーラーでもお世話になりそうです。

Classical

昨日から再び仕事が始まりました。仕事というのは、おそらくはアグレッシブに関わるぐらいの方が気持的に楽ですね。

さて、仕事のあいだ中、「魔弾の射手」が頭の中に鳴り響いていて、少々疲れてしまいました。ここは一つ気分を変えてフォーレを聴いてみたいと思ったのです。昨日は「魔弾の射手を聴き倒す」と言っていましたが、やはり副業(?)とはいえ、音楽は心に深く結びついていますから、予定通りに行かなかったり、どうしても逆らえないことがあるものです。

Amazon、タワーレコード、HMVでは、私の持っている国内盤がなくて、どうやら新しいパッケージに変わったようです。ついでに、二枚組CDの順番も変わっていて、私の持っている二枚組CDの一枚目が、今売っているバージョンでは二枚目になっているようです。

ともかく、「ペレアスとメリザンド」や「マスクとベルガマスク」の透徹とした響きの中に吸い込まれまして、しばらくはそこから離れることが出来ないのです。海峡に面した霧の濃いの海辺の静かな街にいるような気分になれます。ついつい帰りの電車の中で白昼夢的な夢想が拡がってしまいました。

以前にも取上げたと思うのですが、「マスクとベルガマスク」の8曲目(13トラック)が大好きで、昔この曲ばかり何度も何度も執拗に聞き続けたのを覚えています。フォーレはどうしてこんな曲が書けるんだろう?室内楽だと少しばかり晦渋な感じはぬぐえないのですが、管弦楽は素晴しい。もちろん劇付随音楽と言うことにも理由があると思うのですが。この曲があれば、何もかも捨て去って、彷徨って、どこかで行き倒れても悔いはないなあ、と思わせられます。それほどの曲なのだと、思えるのでした。

 

※HMVでは二枚組のCDも扱っているようです。こちらの方がお得ですね。


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Classical

昨日は、予定どおり山行してまいりました。詳しくは次回。今日は、どうにもこうにも上手くいかない一日でした。天気が良かったのですが、もう桜は散り始めています。

こういうときはモーツァルトですね。一ヶ月ほど前にも紹介しましたが、テイト氏が振るモーツァルトです。あまりじっとりとしない感じですし、すがすがしささえ感じます。どんよりとした気分にはとても良い薬になります。やはり昔もこういうときにこのCDに助けて貰ったなあ、と思いながら。

来週末はいよいよ魔弾の射手です。久々の新国立劇場はどうでしょうか? ともかく楽しむためにはそれなりの努力が必要であるということは自明のこと。今週も引き続き予習をしなければ、と思いながら過しています。ですが、たまにはモーツァルトで息を抜くのも許してくれるでしょう。

また一週間頑張りましょうかね。今日は短めですが、このあたりで。

Classical

かつて若くて尖っていた時分には決して効かなかっただろう3大テナーのパリ公演のCD。聴いてみてひっくり返りました。いらない矜持や偏見に囚われずにもっと早くに聴いておけば良かった。

確かに、「商業主義的」と批判する向きもあるのでしょうが、聴いていて楽しむ分には良いんじゃないでしょうか。思った以上に楽しめました。こういうCDは家族と一緒に楽しめるというのも良いですね。さすがに指環は食事中にかけられないですよ。

それにしても、知らない曲ばかり、という感じでも違和感なく聞こえるのは、「商業主義的」な味付けがしてあるものとも言えるけれど、それ以上に卓越した技量があるから。三人ともすごいですよ。

ちなみに、三人の年齢を挙げてみると……。

  1. カレーラス(1946-)は52歳ぐらい
  2. ドミンゴ(1941-)は57歳ぐらい
  3. パヴァロッティ(1935-2007)は63歳ぐらい

しかし、パヴァロッティが一番若々しく聞こえるのはどうしてだろう?一番歳をとっているというのに。そのパヴァロッティももういないのか、と思うと寂しさもしきり。

ポップスの曲も多くて、17. 誰も寝てはならぬ といったオペラのアリアよりも、むしろ、ポップスの曲の方に入れ込みたい気分。パヴァロッティが歌うLucio Dallaの6. Carusoとか、三人で歌う13.Manha de Carnaval とか、24. Dicitencelloみたいな哀しみ溢れる曲に心打たれる。

ただ、ポップスのように、テンポが一定であることを前提にする音楽と、クラシック音楽のようにテンポが頻繁に動く音楽との親和性という意味では課題があって、なかなかリズムをあわせるのが難しい、ということも分かった。それが、オケの方々がポップスを演奏する時に生まれる違和感ともつながってくる。微妙なリズムのノリを表現することの難しさ。

純粋なクラシックCDとは言えないし、むしろポップスの要素が強いCDだと思いますが、ワーグナー聞きたいときもあれば、こういうCD聴きたくなるときもあるのは事実なので、喜んで受け容れよう、と思いました。

Classical

花粉症の季節ですね。春と言っても手放しで喜べない方は多いと思います。

僕自身は小さい頃花粉症で目をやられていたにもかかわらず、最近ではまったく症状も出ないという感じなのですが、家族はかなりやられていて、毎年酷い有様なのです。

それで、なにか良い方策はないか、とネットを見ておりましたら、「泡盛が花粉症に効く」というキャッチフレーズ。ソースは泡盛会社のウェブページですので、へえー、そんなんだ、ぐらいに見ていたのですが、たまたま自宅に泡盛があったので、試しに飲んでみることに。

そうしたら、例年に比べて症状が軽くなる日が多くなった、と言うのです。完全に良くなったわけではないですが、少しは効き目があるみたい、とのこと。

ちなみに、僕もお相伴にあずかって飲んでいるのですが、この「萬座」という泡盛は素晴らしい。甘みと柔らかさが群を抜いてます。

さて、昨日はモーツァルトを聴いておりました。

僕は、モーツァルトを云々するほどに聞き込んでいるわけではないとしても、ある種清涼剤のようなすがすがしさをモーツァルトに覚えることがあります。特に少し疲れ気味の時には、ジェフリー・テイトが振る交響曲全集から、35番、36番、38番、39番などを選んで聴くことが多いです。

テイトの指揮は研ぎ澄まされた爽やかなもので、大時代風というわけではなく、さらりと流れる演奏です。編成が小さいと言うこともあるかもしれませんね。ある意味面白みが掛けるという評価を下す向きもあるかもしれませんが、僕にとってはご馳走なのです。

この一ヶ月はワーグナー漬だったので(昨日も、そうは良いながらもワーグナーを聴きましたが)、丁度良い休憩になりました。

Classical,Richard Wagner

新潮文庫に収められているワーグナーの伝記を読みましたが、なかなか興味深かったです。

ワーグナーの略歴は知っていましたが、きちんとした伝記を読むのはお恥ずかしいことに初めてでした。興味深かった点をリストで。

  • 実は小さいころから音楽に秀でていたわけではなかったのだ、とか、そのことである種批判されたりしたようですね。
  • トリスタン和声は、音楽的な意図からではなく、純粋に、そう書きたいからそうなってしまったのだと言うことみたい。
  • 父親が誰だかわからない、という出生ににまつわる謎が、ジークフリートが言う「父親がわからない」というせりふに反映されているようです。
  • ワーグナーにまつわる13という数字の謎とか(出生年の1813をすべて足すと、13になるなどなど)、予知夢を見たり、コジマとの間でテレパシーもどきの現象がよく起きていたとか……。オカルティズムに半分足を踏み入れたような感覚を覚えました。

ほかにもあるのですが、それは明日まで。今日は急いで更新です。