リングとニーベルング族が示すものとは?

今日は一日休みました。といいつつ、午前中はカフェに出かけたのですが、とある尊敬する方に偶然お会いして、なんだか緊張しましたが、気合いも入れてもらった感じです。
執拗にリングのことを考えてしまいます。どうにもとまりません。
リングは何のメタファーなのか、という話しはよく聴く議論で、まあ核兵器とおっしゃる方もいれば、資本主義経済だとか貨幣経済とおっしゃる方もいる。
WIKIによれば、演出家のパトリス・シェローはマルクス主義との関連性をも指摘しているらしい。ワーグナーは革命運動にもかかわっていましたので、関係が出てきてもおかしくないです。ここは、思想史ですね。勉強しないと。
そういうこともあって、個人的にフィットする考えは、やっぱりそうした資本主義貨幣経済というとらえ方です。まあ、オーソドックスな解釈だと思いますけれど、サヴァリッシュ盤のレーンホフの演出を一度見てしまうと、どうしてもその呪縛から逃れられません。「ラインの黄金」で、アルベリヒがニーベルング族を従えて財宝を掘る場面で、ニーベルング族は金色の細かな流動体として表現されていましたので。
上のリンクはそのサヴァリッシュ盤DVDです。
もうひとつ、そこでどうしても避けられないのが、ニーベルング族がユダヤ人のメタファーではないか、ということ。これ、あまり気が進まないですし、危ない解釈なので、書くのも躊躇するのですが(このことは、「ジークフリート」のプログラムの中でも指摘されているのですけれど)、ワーグナーがユダヤ人嫌いであったことを考えると、なおいっそうこの可能性を排除するわけにはいかなくなります。
リングが資本主義貨幣経済のメタファーだとすると、「ヴェニスの商人」やロスチャイルドなど、ユダヤ人の商才というまことに類型的な符号と一致します。
じゃあ、その資本主義貨幣経済のもとで消えていった「神々」とは誰なのか?
長くなるので、これは次回に。