新国立劇場「ジークフリート」その1





最近、とみに重苦しいこのサーバー。Movable Typeなんていう、重いブログスキームを使っているのもあるのですが、書いていた記事がパーになってしまうことがしばしばでした。今日に至っては、別のスキーム(Pukiwiki)ですら落ちてしまいました。30分を返してくれ。あんなに、クリスティアン・フランツ氏やイレーネ・テオリンさんのことを書いたのに……。
気を取り直して。もう24時間経ってしまいましたが、昨日の新国立劇場「ジークフリート」の件です。6時間の体験で、私の思念はあらぬ方向へと舞い続け、大変貴重な経験となりました。人生に数少ないときめいた時間でした。
音楽面、演出面、総括、ということで三部構成にします。今日は音楽面について。
クリスティアン・フランツ氏がジークフリートです。すばらしいですよ、この方は。まずはなにより声が美しい。甘さとりりしさを併せ持つ英雄テノールです。ルネ・コロ氏のよりもさらに美声ではないか、と思うほど。ですが、ジークフリートに、お姫様を接吻で目覚めさせる白馬の騎士を求めておられる女性陣には少々不評だったようです。そんな声が座席の後ろから聞こえてきましたので。まあ、確かに背が高いわけでもなく、恰幅も悪くありませんので、すらりとしたスマートなジークフリートではないのです。
ですが、私は音楽面、演出面の両面において、彼は本当にすばらしかったと思うのです。音楽面はもう申し上げたとおり。これほど巧みで甘いテノールに直接触れられたことは本当に幸運でした。演出面、ですが、この東京リングの演出要素の一つとしてキッチュな面があるわけです。たとえば、ジークフリートが来ているTシャツには、スーパーマンマーク(Sのマーク!)が書かれているという俗悪さ。ジークフリートが会ったこともない両親のことを想像している時に至っては、鹿やら熊の着ぐるみが登場するのですが、この着ぐるみがディズニーランドでバイトの若者が着ているような着ぐるみ。ここまで来ると、本当にしてやられた、という感じです。
芸術の一つの要素は、受容者の心にさざ波を立てることですので、こうした挑発的な演出には賛成です。おっと、演出については明日書く予定でした。まあ、そうした文脈において、彼の容姿風貌は演出に実にマッチしていたともいえるわけです。もっとも、そうした容姿風貌がもたらす若干のディスアドヴァンテージなんて、彼の歌のすばらしさの前にあっては吹っ飛んでしまうんです。そんな感じでした。
ミーメを歌われたヴォルフガング・シュミット氏。私はのっけからぐいっと引き込まれてしまいました。この方の歌は初めてではありません。2008年2月の新国立劇場「サロメ」でヘロデ王を歌っておられたのですが、そのときもすばらしい歌唱でした。ヘロデ王の弱虫で軟弱で優柔不断な面をうまく歌い演じておられたのです。(https://museum.projectmnh.com/2008/02/04055751.php)ヘロデ王とミーメは親和性高いですね。この二役で思い出すのはハインツ・ツェドニク氏です。この方は、新国でヘロデ王を歌っていましたし、レヴァイン盤ではミーメを歌っていますし。ついでに、ミーメを歌える方は、「ヴォツェック」の大尉も歌えるはず。ツェドニク氏はアバド盤で大尉を歌っておられます。
さすらい人、すなわちヴォータンは、ユッカ・ラジライネン氏。この方はもちろん昨年の「ラインの黄金」、「ワルキューレ」でも活躍されました。そしてもう一つ、昨年2009年夏のバイロイト「トリスタンとイゾルデ」でもクルヴェナールとしてイレーネ・テオリンさんと共演してましたね。「ワルキューレ」から一年。今回は長髪となって登場。しかし、この方は本当に安定しています。本当にうまいのですね。安心して聴いていられます。さすらい人=ヴォータンの苦悩をうまく歌っておられました。
長くなったので今日はここまで。イレーネ・テオリンさんについては明日書きましょう。