Opera,Richard Strauss

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Strauss: Ariadne auf Naxos
Strauss: Ariadne auf Naxos
  • レーベル: Deutsche Grammophon
  • 価格: ¥ 4,290
  • 発売日: 2001/09/18
  • 売上ランキング: 66959
タワーレコード


シュトラウス6つめのオペラである「ナクソス島のアリアドネ」を聴いております。と言うのも、1月末に新国立劇場の中ホールで関西二期会の公演があるためです。公演情報はこちらです。

というわけで、予習をしているのですが、ベームが1954年にザルツブルク音楽祭で振ったライブ盤と、シノポリ盤の二枚を聴いてみて、やはりシノポリ盤のほうがいいなあ、と思いそちらを聴いています。ベーム盤はモノラル録音のライブということで、そもそも不利なので、致し方がないですね。

シノポリ盤は、なんといっても、オーケストラはドレスデンシュターツカペレですし、録音場所はやっぱりドレスデンルカ教会です。音が良いのですよ。

このオペラの聴きどころの一つが、ツェルビネッタのコロラトゥーラだと思うのですが、シノポリ盤のナタリー・デセイさんは素晴らしいですね。これだけピッチが安定していて曲芸的なコントロールをするのを見せられると、手放しで拍手をしたくなります。しかも声は透明で美しい。デセイさんのツェルビネッタを聴くだけでもこのCDを聴く価値はあるでしょう。デセイさんのツェルビネッタは以前テレビで放映しているの見たこともあります。ウィキペディアによるとデセイさんは、声帯の手術をうけられたりととても苦労されているようです。

後半の「アリアドネ」の部分はギリシア神話を翻案したものです。アリアドネは、英雄テセウスによってクレタ島から連れ出された王女です。テセウスはクレタ島のクノッソス宮殿の地下迷宮でミノタウロスを倒すわけですが、迷宮で迷わないように、とアリアドネがテセウスにに糸玉を渡して、テセウスのミノタウロス退治に力を貸すわけですが、テセウスと一緒にアテネへ向かう途中にナクソス島に置き去りにされてしまうわけですね。そこで、バッカス(つまりデュオニソス)と結ばれてめでたしめでたし、となるのがオペラのあらすじ。

一説にはアリアドネは悲嘆のあまりに自殺してしまうという別のストーリーもあるらしいです。なぜ、テセウスはアリアドネを置き去りにしたのか、本当によく分からなくて、バッカスがアリアドネに一目惚れしたので、置き去りにするように差配した、という説もあるそうですが、なんだかストーリー的に無理がある気がしてなりません。

他にもう一つ違うバージョンの「ナクソス島のアリアドネ」を聴きたいと思っていますが、何にしようか思案中です。


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Opera

昨日は、新年の記念に、ということで、 NHKニューイヤー・オペラ・コンサートに行ってまいりました。教育テレビでも生放送されていたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。

全体的な感想ですが、歌のほうはといえば、うまい方もいらっしゃれば、残念ながらそうでない方もいらっしゃる。逆に言うと、うまい方というのがどういう方なのか、どういう歌がうまいと感じるのか、ということを学んだ、と言うことだと思います。ともかく、いろいろな曲を聴けたのはとても楽しかったですし、素晴らしい歌唱を披露された歌手の方も少なくなかったので、思った以上に良かったです。

感じたことですが、うまい方は、大げさなビブラートをかけないでも、ちゃんとピッチが安定しているのがわかります。逆に、ビブラートがかかりすぎている方、つまりビブラートのピッチ幅、つまり音程の高低が大きかったりすると、かえって音が濁ってしまいますし、ロングトーンのピッチコントロールが出来ていないのではないか、という疑いを持ってしまうのです。これは、僕が昔吹いていたサクソフォーンの演奏をしたり、自分の演奏を聴いたりして感じていたことで、もちろんほかの管楽器の方も同じだと思うのです。ビブラートが悪いというわけではなく、かけ方の問題だと思うのです。

ちなみに、森麻季さんも出ておられましたが、僕としては、森さんは本当に巧い方なんだなあ、という印象でした。ピッチのずれもあまり感じませんでしたし、ビブラートもそんなに耳につくこともありませんでした。連れは、すこし声が小さいのでは、という印象を持ったようでしたが、僕はそれはあまり気になりませんでした。

などと、多少つっこんだ意見を書いてしまいました。歌うと言うことがどれほど難しいことなのか、ということは分かっていますし、ステージに立っておられた方々がどんなに優秀な方々なのかと言うことも分かっているのです。ごめんなさい。

昨日の生放送をビデオに撮っておきましたので、今日明日にでも見てみようと思います。また違う発見があるかもしれません。

曲目は、こちらのNHKのページをご覧ください。

Classical,Opera

Concert Hall

今年見に行ったオペラ・コンサートをまとめてみました。

  • 2月10日;ダフネ(若杉弘、二期会)
  • 3月4日;さまよえるオランダ人(ボーダー、新国立劇場)
  • 3月24日;運命の力(バルバチーニ、新国立劇場)
  • 3月31日;蝶々夫人(若杉弘、新国立劇場)
  • 4月21日;西部の娘(シルマー、新国立劇場)
  • 6月9日;ばらの騎士(シュナイダー、新国立劇場)
  • 7月4日;森麻季さんリサイタル
  • 9月2日;ばらの騎士(ウェルザー=メスト、チューリヒ歌劇場)
  • 10月14日;トリスタンとイゾルデ(バレンボイム、ベルリン国立歌劇場)
  • 11月3日;ブルックナー交響曲第5番(ティーレマン、ミュンヘンフィル)
  • 11月23日;ばらの騎士(ルイジ、ドレスデン国立歌劇場)
  • 12月;ドレスデン室内管弦楽団、森麻季
  • 12月22日;くるみ割り人形(新国立劇場)

今年はやっぱり、新国立劇場の「ばらの騎士」と「蝶々夫人」が圧倒的でした。あそこまで涙したのは初めてでした。歳を重ねて涙腺がゆるんでいるのかな。

辛かったのは「トリスタン」で、風邪で熱出した状態で6時間缶詰になったのはさすがにヘトヘトでした。でも良かったのですけれど。

今年は結構行ってますね。行き過ぎかも。その分CDの購入は押さえています。最近は生演奏を聞くことの意味がよく分ってきた気がしますので、来年も時間的、経済的な面をクリアできれば、引き続き行きたいと思っています。

来年は、1月に関西二期会の「ナクソス島のアリアドネ」、2月に新国立劇場で「サロメ」、4月に同じく新国立劇場で「魔弾の射手」を観に行く予定。それから2008/2009年の新国立劇場も注目ですね。トゥーランドットに、ラインの黄金、ワルキューレなど話題の公演が既に発表されています。特にトゥーランドットは是が非でも観に行きたいです。

Opera



1日遅れですが、15日が勝手にオペラの日、ということで、オペラの話題を。昨年の夏以降、何度となく聞いたシュトラウス最後のオペラ「カプリッチョ」のことから。

カプリッチョにみる音楽の優位性

一体、伯爵夫人マドレーヌは、詩人のオリヴィエが好きなのか、作曲家のフラマンが好きなのか? 二人に求愛されて伯爵夫人は困っている。なかなか決められない。ここでは、伯爵夫人はオペラのメタファになっているのだが、伯爵夫人は、「詩と音楽はわけられないわ」と言ってはいるけれど、実は作曲家フラマンの方が好みなんじゃないかな、と。

オリヴィエには結構冷たかったけれど、フラマンには、明日の11時にお返事するわ、と具体的な日時まで指定してしまう。終幕部でも、オリヴィエが翌日の11時に来るという伝言を執事から聞くと、きっとフラマンはがっかりするわ、とフラマンに気を遣ってみたりしている。シュトラウス自身、作曲家としてはもちろん、文学への高い才能を持っている。インテルメッツォはシュトラウスがリブレットを書いているぐらいだし、ホフマンスタールと堂々と張り合っていることからもよく分る。でも、やっぱりシュトラウスは作曲家なのだ。オペラにおいて、詩と音楽のどちらが優位かと言えば、本音では音楽と言いたいはずなのだ。音楽の優位性を信じていたからこそ、ホフマンスタールとの打ち合わせではまず音楽ありき、という立場で書かれている。だから、フラマンに肩入れをしてもおかしくない。

カプリッチョのリブレットとメタ化

さて、シュトラウスとの綿密な検討をしながら、カプリッチョのリブレットを書いたのはクレメンス・クラウスで、彼も言わずと知れた名指揮者なのであり、結局は音楽家の書いたリブレットなのである。だからといってリブレットの価値が貶められるというわけではない。ギリシア古典を下敷きにした優雅なリブレットはそれだけで価値があるし、物語としてもおもしろいし、オペラを論じる登場人物達への皮肉に満ちた台詞を召使い達に語らせたり、と自己嘲笑的な部分を容れていたりと、なかなか凝った作りなのである。

プロンプターのトープ氏(トープとはモグラという意味)の登場で、オペラ自身の裏側を表側にひっくり返すようなこともやっていて、それを巧く解釈して大いなる成功を収めているのが、ウルフ・シルマーの振ったパリの好演である。

R.シュトラウス 歌劇《カプリッチョ》 パリ・オペラ座 2004年
R.シュトラウス 歌劇《カプリッチョ》 パリ・オペラ座 2004年
  • 発売元: TDKコア
  • レーベル: TDKコア
  • 価格: ¥ 7,140
  • 発売日: 2006/11/22
  • 売上ランキング: 49712

ロバート・カーセンの演出によるこの映像はトープ氏が舞台の下から登場するところから、オペラがメタオペラ(ここではオペラαとしよう)に変わる。その予兆は、伯爵の提案、つまり、この伯爵夫人の誕生日への贈り物としてのオペラ(ここではオペラβとしよう)を考えるプロセス自体をオペラ化(オペラβ化)しよう、という提案においてあらわれている。

月光の音楽の部分は、メタオペラ(オペラα)の対象としてのオペラ(オペラβ)に変貌していて、ボックス席には、伯爵、伯爵夫人、フラマン、オリヴィエ、ラ・ローシュが座って、自分たちが「作った」オペラ(オペラβ)を鑑賞している。それもカプリッチョという題名で、作曲がフラマン、台本がオリヴィエ、演出がラ・ローシュと書かれたスコアの表紙が映し出される。今まで見ていたオペラαが、オペラβを作るためのプロセスであることを印象づける。そして、決まらなかったオペラβの結末は、オペラβに二重に登場する伯爵夫人のモノローグ(オペラαの伯爵夫人は、ボックス席から、オペラβにおいて自分自身が歌うモノローグを聞くことになる)によって、やはり結末は決まらないと告げられるのだ。そうやって結局見ている者を無限の余韻の中に浸らせる。

詩が先か? 音楽が先か?

実際、オペラにおいて詩(すなわちリブレット)と音楽のどちらが優位なのかは分らない。おそらく台本作者は自分が優位だと信じるだろうし、作曲家はそうではないというだろう。

だが、考えてみると、ダ・ポンテはモーツァルトのオペラの台本を書いた作家として語られるわけだし、ジャコーザやイリッカがどんなに美しい物語を書こうとも、まず最初に出てくるのはプッチーニの名前である。ホフマンスタールは、台本作家である以前に文豪だから、世界文学全集に登場しているのであって、オペラ作家としてではない。マクベス、オテロは、シェークスピア劇をオペラ化したわけで、まず先に偉業としてのシェークスピア劇を前提にしている。だが、ファルスタッフで語られるのは、シェークスピアの名前ではなくヴェルディの名前が先。ワーグナーは自分できわめて文学的なリブレットを書いたけれど、偉大な作曲家として名前が残っているわけで、偉大な文学者として名を残しているわけではない(だからといって、文学的才能がなかったというわけではないのだが)。

音楽が先?

結局は、オペラにおいては「外面的」、「経験的」に音楽の方が優位なのではないか、と考えるに至る。それは僕のオペラの聴き方にも現れている。邪道かも知れないが、僕はまずは音楽を覚えるために、何度も何度もリブレットを見ないでオペラを聞き続ける。音楽を覚えた頃にリブレットをみたり、実際に見に行ったりして、台詞と音楽の対応を楽しむという感じ。いや、それどころか、音楽とあらすじだけで楽しんでいることもある(あまり褒められた話ではないのですが)。

オペラは楽しい

ともかく、オペラは楽しい。聞くだけでも楽しいのだから、観るのはもっと楽しい。初めてオペラを観たときのことを思い出す。新国立劇場で観た「セヴィリアの理髪師」の古い演出だったのだが、幕があいた途端にそこにオペラ空間が立上がったことに度肝をぬかれたのだ。それはもちろん演劇空間であっても歌舞伎空間であっても良いのだけれど、ともかくそこにリアル世界とフィクション世界の結節点があることが分ったのだ。リアル世界がどんなに汚れていて濁っていようとも、辻邦生師がおっしゃるように、芸術は現実の悪を乗り切るためにあるのだ、という言葉を信じたくなる。そんな瞬間だった。

笑いもあればシリアスな別れもある。そしてなにより音楽を聞く楽しさ。歌手の声色に酔い、繊細で重厚で流麗な多面的なオーケストラを聞く喜び。オペラを聴き始めてまだ数年そこそこなのだが、それでもここまで楽しめるようになったのだからこの点については本当に幸せなことだな、と感謝するしかない。まだまだ勉強することはたくさんあるし、もっともっと聞き込んでかんがえないといけないのだけれど、頑張ろうという気持にさせてくれるオペラは凄い。オペラに関わる古今東西の方々、本当にありがとうございます。

Opera

先だって観に行ったドレスデン国立歌劇場来日公演の「ばらの騎士」。
「カットされていない部分が多くて全体的に長い印象だった」と書いたのですが、ちょっと間違ったことを書いてしまったかな、と思っています。

http://museumshushi.blog77.fc2.com/blog-entry-462.html
http://shuk.s6.coreserver.jp/MSB/2007/11/1983.html

拠所となったのは、マルシャリンがゾフィーに顔色のところを問いつめる場面と、マルシャリンの部屋でヴァルツァッキがオックスに自分を売り込む場面がなかったのではないか、という思いだったのですが、カラヤン盤のライナーを見ると、どちらもあることに気づきました。ごめんなさい。

しかし、やはりどうしても聞いたことのないばらの騎士を聞いた気がするのですよ……。凄く新鮮な気分で聞けた気持だったのです。あれはなんだったのだろう? 指揮のファビオ・ルイジの音楽の作り方のせいなのか、あるいは、ばらの騎士を聴き続けた僕の中で何かが変わったのか? あるいは、僕がはっきりと認識できなかったところでノーカットになっていたのか……。

ともかく、すこし安易に書いてしまったことはお詫び致します。

Opera

Semper

演奏も感動的だったのですが、幕間にとある方をお見かけして本当に感動。お名前は伏せますが、あの方です。あの高名な音楽評論家の方です。あのお年なのにもかかわらず、かくしゃくとしていらっしゃいました。どなたかと立ち話をされていたのですが、どうもお一人でいらっしゃっていた様な感じを受けました。背筋がしゃきっとしておられて、本当にお元気そうでした。わたしもああのように元気でいたいものだ、と思います。

それから、元総理大臣もお見かけしました。かなりの至近距離で気づいたのでびっくりしてしまいました。ちなみに、小泉元首相ではありません。こちらもお名前は伏せますが、お元気だった頃に比べるとすこし歳をとられて疲れている感じ。それでもやはり背筋は伸びていらっしゃって、とてもスタイリッシュな黒い服を着ておられました(スーツではないのです)。

演奏者だけではなく、観客の方からも力を頂いた気がします。やはりライヴはいいな、と思いました。

Opera,Richard Strauss

まずはこちらもご覧ください。
http://shuk.s6.coreserver.jp/MSB/2007/12/2001.html


Strauss

観て参りました。ドレスデン国立歌劇場というか、ザクセン州立歌劇場の「ばらの騎士」。感動でしたね。特にばらの献呈と最後の三重唱。また涙を流しました。

3時開演で、終わったのが19時半でした。時間配分ですが、

  • 第一幕:80分
  • 休憩:30分
  • 第二幕:65分
  • 休憩:30分
  • 第一幕:60分

という感じ。長いなあ、という印象を受けました。聞いているうちになぜ長いのか分ったような。どうも聞いたことのない箇所がいくつかあるように思えたのですね。こんなフレーズあったっけ? こんな場面あったっけ? こんな歌詞あったっけ? と言ったような。これまではほとんどをカラヤン盤(新しい方)で予習をしていて、六月の新国立劇場でも九月のチューリヒ歌劇場でもこんな違和感は感じなかったのですが、今回は違和感を感じたのです。おそらく、慣例となっているカットを復活させているのではないか、と考えています。そうですよね。第一幕80分と言うことは、CD一枚に入りません。演奏のスピードも極端に遅いと言うことは全くなく、メリハリのついたものでしたので、演奏箇所が増えているとしか考えられないと思います。

それで、カラヤン盤の対訳を観てみるとやっぱり。マルシャリンが、ゾフィーに、オクタヴィアンが好きかどうかは、あなたの青白い顔を見れば分る、と言う場面、対訳にはないですね。やはりカットしてないんだと思います。そう言う意味では、これまで味わったことのない「ばらの騎士」を新鮮な気分で味わうことができてとても良かったです。

演奏の方ですが、今回はNHKホールの三階の後列、リーズナブルな価格の席で観たということで、音響的に今ひとつだった感があります。天井が近いせいなのか、音の響きがあまり感じられませんでした。これは本当に残念。それでも、弦楽器の豊かなうねりに酔ってしまうほどでした。ドレスデンの弦楽部がすばらしいことを再認識しました。

マルシャリンのシュヴァンネヴィルムスさん、オクタヴィアンのアンケ・ヴォンドゥングさん、全く違和感を感じることなく愉しませて頂きました。クルト・リドルさんは、低くて豊かな声の持ち主で、演技も表情豊か。ただ、最低音周辺が少しつぶれてしまっているような感じを受けました。ゾフィーの森麻季さん、頑張っておられました。欧州勢のキャストのなかに巧く溶け込んでいたと思います。それにしても意外なのは、森麻季さんはかなり小柄な方なのですね。まだまだ少女という感じが抜けきらないゾフィーを巧く演じておられたと思います。

指揮 ファビオ・ルイジ
演出 ウヴェ=エリック・ラウフェンベルク
管弦楽 ドレスデン・シュターツカペレ
マルシャリン アンネ・シュヴァンネヴィルムス
オックス男爵 クルト・リドル
オクタヴィアン アンケ・ヴォンドゥング
ファーニナル ハンス=ヨアヒム・ケテルセン
ゾフィー 森麻季
イタリア人歌手 ロベルト・ザッカ

明日ももう少し感想を書くかも知れませんが、今日のところはこのあたりで。

Opera

Richard Strauss: Rosenkavalier Waltzes; Burleske; Capriccio Sextet
Richard Strauss Herbert Blomstedt Gewandhausorchester Leipzig Jean-Yves Thibaudet
Decca (2005/06/14)
売り上げランキング: 25415

ドレスデン国立歌劇場といいますか、ザクセン州立歌劇場と申しますか、ともかく、明日、「ばらの騎士」を観に行くという僥倖に恵まれました。当初指揮をするはずだった準・メルクルさんは、タンホイザーに専念し、音楽監督のファビオ・ルイジさんがタクトを取られます。元帥夫人を歌う予定だったアンゲラ・デノケさんはインフルエンザと言うことでキャンセル。代わりにアンネ・シュヴァンネヴィルムスさんが元帥夫人を歌われます。
今回は、「ばらの騎士」のほかに「サロメ」と「タンホイザー」が上演されるのですが、サロメ役は、あの新国立劇場の感動的な「ばらの騎士」で元帥夫人を歌ったカミッラ・ニールントさんなのです。デノケさんの代役には、ニールントさんが出ていらして、あの感動をもう一度、と思いましたが、そうも行かないようです。とにかく、楽しみですね。
今回でばらの騎士を観るのは四回目です。本当にありがたいことです。感謝感謝。
※写真はプロムシュテットのアルバムですが、銀のバラのジャケットが綺麗なので載せてみました。

Opera

ベルリン国立歌劇場「トリスタンとイゾルデ」に行ってまいりました。14時半にNHKホールに着いて、それから6時間にわたってNHKホール内に、至福の時と共に拘禁(笑)されました。私事ながら、風邪を患い、頭が朦朧としている状態で聞いたものですから、判断能力が鈍っていることは否定できないのですが、それでもすばらしい演奏で、ビックリしました。
それにしても強力な弦楽部で、波打つうねりのような音が大迫力でした。さすが本場だけあってパワーが違いますね。それから、マルケ王を歌ったルネ・パペさんはすごかったです。ツヤにある声。忠臣に裏切られた思いを哀切に歌っている感じ。客席からの拍手も一段と大きいものがあったように思えます。僕の席からは確認できませんでしたが、バレンボイム氏は暗譜で振っていたらしいです。どんな頭の構造なんでしょう?トリスタンのクリスティアン・フランツさんも、イゾルデのワルトラウト。マイヤーさんも強力。圧倒的パワーに押しまくられてしまいました。それから、曲を聴いていて、マーラーの交響曲のフレーズが聞こえてびっくりしました。
でも、このオペラは考えさせられるなあ。購入したプログラム(3000円!)にも書いてありましたが、夜の世界でしか本来の自分を出せない二人。昼の世界では、忠義深い廷臣や、貞節な妻を演じ、夜の世界では、お互いの真実の愛を確かめ合うとは。本当の自分に戻れるのは夜だけ。これじゃあ、まるでサラリーマンと同じじゃないか、と思ったりもしました。
NHKホールはあまり音がよくないということを聞いたことがあるのですが、確かにオケのバランスが悪かったと思います。やけに金管が目立って聞こえていたりしました。けれども、オペラを「見る」という点においてはいいかもしれません。今回3Fの右のほうの席だったのですが、舞台はほとんど見えました。新国立劇場だと、舞台奥まで見えないこともありますので、そういう意味ではよかったです。
指揮:ダニエル・バレンボイム
演出:ハリー・クプファー
トリスタン:クリスティアン・フランツ
マルケ王:ルネ・パペ
イゾルデ:ワルトラウト・マイヤー
クルヴェナル:ロマン・トレケル
管弦楽:ベルリン・シュターツカペレ

Opera

Puccini: Turandot (Highlights) / Karajan, Domingo Puccini: Turandot (Highlights) / Karajan, Domingo
(1992/06/16)
Gottfried Hornik、 他

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(リンクはハイライト盤です。全曲盤は廃盤かしら?)

ドミンゴの声が若々しい。もうこの声を聞くことは能わないんだろうなあ。意外と遅めのテンポで、重い感じです。トゥーランドットは一度だけ生演奏を見たことがありますが、そのときのカラフはロシアのテノール歌手の方が歌われていました。有名な「誰も寝てはならぬ」のところ、ドミンゴのように甘く歌うのではなく、硬質な感じで歌われていました。そう言う意味では、この盤でのドミンゴはすばらしいなあ、と思います。

さて、トゥーランドットを聞くと、いつも不安感にさいなまれるのは何故でしょうか? 一応はハッピーエンドなんですけれど。おそらく、プッチーニ最後のオペラで、未完に終わったということとか、プッチーニが喉頭ガンに冒されていて手術をしてなくなったこととか、リュウの独唱にまつわる悲しいお話とか、このオペラには、悲しみがつきまとっているように思えてならないのです。劇中でも、リュウは死んでしまうし、ペルシア王子も処刑されますし、なんだか、最後にトゥーランドットがカラフと結ばれるのにも空々しい感じを覚えてしまいます。

それでもこのオペラ、大好きなんですよね。他の盤も聴いてみようっと。